VOICE

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 * * *  王女が夢を見たように、私も夢を見ていたのかもしれない。  けれどもやっと覚めた。彼女が現実を知った時のように。  私が歌っても、私が彼女のように話しても、彼女はもういない。  私は私。そして私が彼女にひどいことをしたという事実も、変わらない。  私が彼女を許せなかったから、独り占めしたかったから、彼女を不幸にした。もし、少しでも本当に彼女のためを思っていたのならば、何かが変わっていたに違いないのに。  触れることのできた小さな光を、失いたくないばかりに、自分の手で握りつぶしたのだ。  それでも私は、彼女の声を手に入れて、彼女のふりをする事で、全てを誤魔化した。彼女がそこにいることにした。しかしそれは、全て違った。  私は、彼女になりたいわけではなかった。ただ、一緒にいてほしかった。やっと見えた希望の光を、失いたくなかっただけ。  でも、彼女を泡にしたのは、間違いなく私で。  私が彼女を殺したのだ。私のわがままのせいで。  私は意地悪な醜い魔女だった。その姿、内面はまさに、怪物だった。  ――海底に沈んだ沈没船。甲板から下を覗けば、黒々とした深淵があった。この船は、海底の崖の上にぎりぎり乗っている。崖の下は、どこまで続いているのかわからない。けれども、地獄まで続いている、なんて話があった。どこまでも黒い。夜よりも黒い。その黒色を、私は泡を詰めた瓶を抱いて、見据えていた。  気付けば――笑っていた。  目が覚めて、夢は終わったから。こんな私は、何をするべきか――残された正しい道を、やっと見つけられたから。  ……あの時、彼女もこんな気持ちだったのだろうか。王子を殺すなんて罪よりも、自らの死を選び愛と正義を貫いた彼女。でも、私の場合は、同じく正義を貫こうとしているけれども、事情が少し、否、だいぶ違う。  悪い怪物は、退治されるべき。罪人は罪を償うべき。  全ては私が悪かった。私は意地悪で醜い魔女だった。最低な人魚もどき。  罰を受けなければならない。地獄へ行かなくてはいけない。  だから――船から身を投げた。  深淵へと飛び込む。彼女が夜の海に飛び込んだように。ゆっくりと、黒色へ沈んでいく。  黒色は冷たい。落ちていくにつれ、徐々に冷たさは増していく。沈没船が遠のいていくのを見ていた。遙か遠くにあった日の光も、より遠のいている。でも、もう何もしない。落ちていくまま、冷たさに絡みとられるまま。  そういえば、地獄の最下層は、ひどく寒い場所で、罪人は氷づけにされているのだときいた。私もそうあるべきだ。この醜い姿を業火で焼いただけでは許されない。氷づけにし、永遠に醜い姿をさらし続けるべきだ。  怖くないわけではなかった。黒色は恐ろしかった。でも私は悪いことをした。  彼女は泡になる瞬間、怖くはなかったのだろうか、と、ふと思い、泡の入った瓶を抱くように握りしめる。光り輝く彼女の一部は、この暗闇でもまだ輝いていた。けれども、そのうち闇に染まって消えてしまいそうだった。太陽のような彼女だったのに、この暗闇では弱々しい。私を照らす光にはならない。共に地獄へ落ちてゆく。  でも。  ――彼女に、深淵の闇なんて、似合わない。  はっとした。そして、何の迷いもなく、私は瓶の蓋を開けた。  瓶からはするすると泡が出てきて、私をおいて海上へと昇っていく。太陽に照らされた世界を目指していく。  ――太陽のようなあなたは、どうか光のある場所に。  地獄へ行くのは自分一人だけ。あなたを連れて行くわけにはいかない。  光り輝く泡は、まるで撫でるかのように私の身体を伝って、天を目指す。醜い尾を撫で、太陽へ向かっていく。  泡に尾を撫でられた瞬間、少し痛みを感じた。  別れの痛みは、私が一番に恐れていたものだった。でもいまは少しだけ、心地よかった。  昇っていく泡に、ごめんなさい、と言おうとした。  しかし口を閉ざした。  私の声は、いまは王女の声。  私は自分の声で謝ることもできなくなっていた。  許しを請うこともできない。請うことができたとしても、許されないことをした。  ――さようなら。  それだけを思った。  沈んでいく。暗く冷たい深淵に。  輝く泡は、もう遙か遠く。やがて太陽の光と混じり、見えなくなってしまった。その太陽の光すらもついには見えなくなった。  私は、眠るように目を閉じて、さらに落ちていった。 【VOICE 終】
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