休暇

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横顔が真っ白に見えた。 和奏が攻撃されたのは、親の事か…それとも前職の名残か。 どちらにせよ、きっとこれが初めてじゃない。 そう分かるほど、和奏は立ち尽くしたまま固まっていた。 追いかけようと思った。 理由がどちらにしろ、許せなかった。 親の罪は和奏に関係ない。 前職が理由だとしても、それは対価をもらって返しただけの事。 自信があった。 もしも男が本気になっても、絶対に和奏はそれに流されてはいない。 踵を返そうとした矢田。 けれど和奏は手を離さなかった。 「千晴さん…帰ろ」 呟く声が僅かに震えていた。 追いかけるより、和奏が先だと肩を抱いた。 「ええ、帰ってゆっくりしましょう」 前を向いたままの和奏が、不器用に足を出す。 先程までの、弾むような靴音は消えて。 矢田だけが頼りの覚束無い歩みで。 強ばった表情を崩さない和奏を助手席に乗せて車を出した。 早く、あの女性から距離を取ってやらなければ…酷く緊張した和奏を早く楽にしてやりたかった。 多分、自分は経験していない痛みだ。 だから、どう言葉をかけるのが正解か分からなかった。 ただ、和奏があの女性達から離れたいのなら家に戻ろう。 二人だけの部屋に戻って抱き締めてやりたい。 肉屋も通り過ぎて、車からおろした和奏の手を握って部屋のドアを開けた。 そこでやっと、和奏が深く息を吐いた。 「ごめんね、千晴さん…お茶いれるね」 硬い笑顔を浮かべ、和奏がブーツを脱ぐ。 「お茶は後にしよう」 「…ん?」 瞳を揺らした和奏を靴を履いたまま、抱き寄せた。 「部屋が暖まるまで、こうしてよう」 胸に額を付けた和奏が、少しだけ笑い…揺れた肩がそのまま震えた。 「…暖房、つけないとずっと…寒いよ?」 微笑んだ声が掠れる。 「なら、ずっとこうして居ればいい」 頼りない背中をぐ、と胸に押し付けて囁いてさする。 「僕には役得です…その方が君を長く抱き締めていられる」 理由を聞かない矢田と、声もあげずにきっと泣いている和奏は静かな玄関で抱きしめ合う。 ごめんね、と和奏が呟いた。 何故謝るのか。 和奏の過去は謝るべき事ではない。 何ひとつ、ごめんねでは無いのだ。 「……何もいらない」 和奏が身じろいで、やっぱり濡れていた目が矢田を見上げた。 「今の、君だけ居ればいいんだ…過去も、未来の約束も何も要らない…今だけ、この時だけ積み重ねて…二人で居よう」 矢田自身、未来の約束なんて出来る立場では無い。 何も確証は無いのだから。 「…明日も、明後日も…ずっと一緒にいる為に僕は最大限の努力をします…だから今の君だけ好きでいる…それじゃあ、駄目?」 喉の奥で潰れた嗚咽を漏らして、和奏が顔をクシャクシャにして泣いた。 「…今を積み重ねたら、僕はもっと君を好きになる…明日も、明後日もずっともっと」 だから泣かないで。 慰め方も、上手く思いつかない。 その練習をしてこなかった過去を謝るのであれば自分だと、矢田は不器用に笑った。 「説明も、ごめんも要らない…君が泣かないで済むなら裸踊りだってします」 和奏が目を見開いて、やっとクスクスと笑い声をあげてくれた。 「似合わない…」 「でしょうね、だから泣き止むのが得策です」 わざと真顔で返した矢田が靴を脱ぐ。 「お土産検索しよう。千晴さん」 「ええ、その前に暖房とホットコーヒーですね」 狭い廊下を手を繋いで進む。 部屋が暖まるまでの数分、もう泣き止んだと照れる和奏を抱き締めてじゃれながら…矢田は和奏を護る方法を考えていた。
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