卒業

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 様々な友人との生活を楽しみ、はしゃぎ、とにかく友情を重視していた学生時代。  部活動でも委員会でも、たとえ直接的な関わりが無くともあらゆる人と明るい毎日を過ごした。  先輩後輩の壁を易々と壊すことができるタイプで、校内の至る箇所で誰かしらと会話を繰り広げていたはず。  それでもたった一人恋をした君とだけは親しくなることがなかった。  まだ居心地の悪い教室、入学式で仲良くなった友人にいつも通りつきまとって、一昨日決まったばかりの委員会の仕事を手伝っていた。  それぞれが探り探りに会話をする、それでも少しばかり浮ついた喧騒。その中に君の柔らかい声が届く。後方のドアから春風が吹き込んできた。  友人の名を呼ぶ声。更に君は続ける。  「ちょっと借りるね」  二言目、せっかく自分へ向けられた言葉だったが、これが隣りにいる友人へ宛てられたものだったらどんなに良かっただろう。  遠慮がちにこちらを見てくる君へ、どんな返事も出来なくて微かな首肯そのままにうつむいてしまった。  いま行く、と短い返事で立ち上がると真横で生まれた一目惚れに気付いたのか椅子をしまった腕で小突いてくる。さすがは親愛なる友人だ。  あれから君のことを人づてに聞いた。賢く、優しく、運動もできるのだと。友人たちも気のいいもので、ネガティブなイメージは一切なく美点ばかりを教えてくれた。勝手に知ってしまった。  しかし会話をする機会には恵まれず、相変わらず遠目に追うばかりで日々は去っていく。  試験結果や志望校ごとの集会、体育大会や野外活動のコース選択などという裏付けもあり、ますます君から目を離せずにいた。  君のことを考えると眠れない。だけど寝てしまえば君に出会えることも経験上わかっている。  学校でさえ話せない君と過ごすことができる唯一の手段。  「恋は盲目」という言葉の真意を見た気分だ。  こうして今日も明日へ向かう。  幾度目かの春が来た。今も変わらずに、大きく変わった君が好きで、同じ時間を成長することができた喜びは忘れない。  時間が止まればいいのに、そう考えるだけなら単純で、君とすれ違うごとに本気で願っていた。  何よりも大切にしたい一瞬。しかし、すぐ近くにいながら行動に移すことが出来ない、この瞬間のこの気持ちにどれだけ耐えられるだろうか。  本当に止まってしまったら音も伝わらない。いまだに耳慣れない君の声も届かない。  光も届かず、君のいる世界を見ることも叶わない。  残酷な虚無が続くだけだ。  明日以降の世界を予告するかのような妄想が絡みつく体で布団に包まる。  この世で最高級の甘い時間も、今夜だけは味わうことも出来ずに飲み干した。  うなされることはないと知りながら、まぶたに現れる君を見ることが怖くて、だけど見ずにはいられなくて。  君と出会って初めて苦しい朝が来た。
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