第15話 「大好き」はサヨナラの代わりに

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第15話 「大好き」はサヨナラの代わりに

 蝉時雨は相変わらずだった。  誰かに見られているかもしれないけど、誰にも見られてないかもしれなかった。  とにかく僕の腕の中には理央がいて、二人とも汗臭かったかもしれないけど、僕は彼女のシャンプーの匂いを初めて知った。  どうしていいのかわからない。  これが衝動、というものなのかもしれない。  でも、心の中ではいつも望んでた。こうして、腕の中に。 「僕はもう多分ダメだ。理央のことが好きだから」  我慢の限界だ。  自分が好きな女の子が、自分を好きだと知ったら?  放っておけないだろう。  じゃあ洋のことはどうするんだよ、というと、絶縁覚悟で本当のことを言うしかない。  ただし、僕の気持ちだけを。  理央を悪者にできない。  その為の覚悟を、理央を抱きしめながら固めていた。 「······奏くん、ごめん」  大した力もない彼女は、するりとリスのように僕の腕をすり抜けた。  睫毛が涙で濡れていた。  僕の見る理央は、とても不幸そうだった。 「軽率だったかも。うれしかったって、どうしても伝えたいって気持ちが抑えきれなくて。でも······」  困った顔が更にシュンとした。 「わたしは洋くんの彼女だから」 「洋が好き?」  それには即答しなかった。心の中で言葉を探しているように見えた。  そして一言ひとことを噛み砕くように、理央は告げた。 「大事にされてるの。洋くんはわたしの中のいいところを教えてくれるの。だから自分が好きになれる。それに、洋くんと奏くんには仲良くしててほしい。わたしがその楔になるのなら、わたしが消えた方がマシと思う」  洋と理央、比べてどっちが勝つかと聞かれたら理央だ。  でもそれは、洋は僕を許してくれるに違いないという甘えがあるからかもしれない。  だけどこうなってしまったら、僕はもう二人の前では笑えない。  二人の後ろを、なにも気にしないフリをして歩けない。 「理央、一度でいいから、嘘でもいいから『好きだ』って言って」  諦めにはなにかしらのケジメが必要な気がした。  ここを境に、馬鹿な考えはもう捨てる。  理央は一歩下がって、僕を見た。 「奏くん、ずっと、ずっと好きだったよ。大好き」  それを言うと理央は「じゃあね」と短く言って走っていった。  理央は彼女じゃない。  僕のものじゃない。  もう戻らない。  季節はどんどん速度を増して、秋風は『目にはさやかに見えぬども』ではなくなった。  長袖のシャツの袖を、軽く捲った。  僕はもう、ひとりだった。  あのバカげた三角形は解消された。  僕は思えばオリオン座の三連星にぼんやり寄り添う添星でしかなかった。明るさの差は言うまでもない。 「藤沢くん、おはよう!」  駅をすぎたところで肩を叩かれる。スキンシップが大丈夫なタイプなんだな、と思う。軽い気持ちで他人の肩を叩くなんて、僕にはできそうにない。 「おはよう」 「相変わらず低血圧だねー。そのテンションの低さで三人の時はどうしてたの?」 「······黙って歩いてた。歩いてれば学校に着くんだよ。それに洋が勝手になにか喋ってたし」  片品は顔を歪めた。  僕の言ったことが気に入らなかったようだ。  ひとりでいることのなにがいけないんだろう。  そうして納得したような顔をして、「なにも言わなくていいよ。こうやって歩いてれば学校に着くわけだから」と正面を向いたまま言った。  片品はいいやつだ。  つまり――無理はしなくていい、そういうことだろう。  僕たち三人が二人と一人に分かれて変わったことといえばそれくらいのことだ。  時々、僕は片品と登下校を共にする。  片品はいつも通りで、なにも聞かないし、なにもねだってこない。ただ、一緒にいてくれる。  ありがたかった。  失恋して友だちとも少しずつ離れていく――そういうビジョンがまるでなかったわけじゃなかった。  洋が理央と付き合うと言った時、僕は一人になるんだなと思ったし、それに耐えなくちゃいけないと思った。  だから。  正直、片品の存在がありがたかった。  僕の気持ちを学校まで引きずってくれる彼女の強さに感謝した。  クラスでは僕はもう片品の彼氏ということになっていて、まぁ、ほとんどの日、約束もなしに片品と登下校しているわけだからそう思われても仕方ない。  片品はいつも上機嫌でそれが通常運転だった。  僕を嫌な気持ちにさせることはない。  ただしお昼だけは、理央と洋が出ていくより先に僕の隣の席にやって来た。二人が一緒のところを僕に見せないように。例の陸上部の佐伯さんの席だ。  クラスカースト上位の片品に誰も意見しない。  僕と片品のことをチラチラ見ても、目が合うとサッと女の子たちは目を逸らした。 「ごめんね、嫌な感じだよね」 「片品のせいじゃないだろう?」 「そうと言えばそう。そうじゃないと言えばそう」 「······どっちもそうじゃん」 「どっちみちわたしのせいだもん。でもね、藤沢くんも悪いんだよ」 「なんで?」  片品は右手で頬杖をついて、右側に視線を逸らした。顔がなぜか赤い。ふくれっ面もチャーミングだ。 「自覚ないから」 「自覚?」 「なんでもない。この話はしてもキリがなさそうだからこれでお終い。······そういうとこが自覚ないってことよ」  彼女は赤く熟したミニトマトを口に放り込んだ。
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