3

1/2
332人が本棚に入れています
本棚に追加
/17ページ

3

『今日は研究室の飲み会だから、来てもいないから』  慈と距離を置いて、初めての週末である今日、生吹はあえてそんなメッセージを慈に送った。行かないで、なんて可愛いことを言ってくれるのなら、直前でも行かないつもりでいたのに、返ってきた答えは『分かった』の一言だった。  正直、生吹だってその答えは予想外だった。この間は、生吹が飲み会に行かないと聞いて嬉しいと言ったのだ。本当は今回だって嫌なはずだ。嫌な事は嫌と言う、素直なところが慈のいいところだし、生吹が好きなところだ。そんなことも言えないほど、距離を取られているのかと思うととても悲しかった。もしそれが、先日会っていた彼女へと気持ちが傾いているせいなのか――そう思うと、少し悔しくもあった。 「生吹くん、飲んでる?」  ふと、隣からそんな声が届いて、生吹は開いていたスマホの画面を閉じた。隣には同じ研究室になったらしい女子学生が座っている。 「珍しいよね、生吹くんが飲み会に来るの」 「そういや、最近は断られるな」  いつの間にか周りには人が集まっていて、既に会話が盛り上がっていたようだ。生吹が、そうかな、と曖昧に頷く。 「そうだよ、生吹目当てで来てくれる女の子もいるのに、来てくれないから、女の子も集まりも悪くて」 「なんだよ、それ。おれ、関係ないだろ」  ただの『撒き餌』だと自覚していても、改めて言われると少し気分も悪くなる。そんな空気を察したのか、そうでないのか、隣の女の子が、そんなことないよ、と生吹の腕に抱きついた。 「私は、生吹くんがこの研究室選んだって聞いて、ここに決めたんだよ。まあ、興味ある研究テーマでもあったんだけど、ちょっとラッキーとは思ったよ」  うふふ、とこちらを見上げる素直な笑顔は少し慈を思い出す。慈もこうしてよく生吹に甘えてくれていた。それだけで、慈が自分を好きなんだと分かったから、それはとても嬉しかったのだ。 「そう、なんだ……名前、聞いてもいい?」 「え……あ、い、池田! 池田留奈、です!」  留奈と名乗った彼女が慌てて生吹から離れ、頭を下げる。その様子が、慈に似ていて可愛いと思えた。ただ、それは慈ではない。それがひどく寂しい。 「よろしく、池田さん」  生吹が改めて名前を呼ぶと、留奈は顔を真っ赤にして目を潤ませる。そのやりとりを見ていた友人が、驚いた顔で口を開いた。 「……生吹が自分から女の子の名前聞いた……」 「……同じ研究室になるんだから、聞くだろ」 「いや、でも……うん、今日は教授が半分出してくれるらしいし、飲もう! 生吹」  友人が嬉しそうにグラスを差し出す。生吹はそれに首を傾げたが、まあいいか、と自分のグラスをそれに軽く当てて、グラスの中身を飲み干した。  いつもの飲み会よりも妙に盛り上がってたくさん飲まされたせいだろう。生吹は珍しく時間が飛ぶことを経験した。どうやら何杯目かのグラスを飲み干してから、今まで自分は意識がなかったらしい。  気づくと生吹は車の後部座席に座らされていた。 「あ、生吹くん起きた?」 「……あ、池田さん、だっけ……」  それはタクシーの中のようで、隣には留奈が座っていた。生吹の荷物も彼女が持っているようだ。 「具合、大丈夫? とりあえずウチに向かってるんだけど」  いつの間にか飲み会は終わっていた。きっと眠っていた生吹を面白がった友人たちが彼女に押し付けたのだろう。生吹は浅く息を吐いて、ごめん、と謝った。 「運転手さん、すみません。行き先変更してもらっていいですか?」  生吹は体を起こすと、運転席に声を掛けた。そのまま自分の住むアパートの住所を告げる。 「ごめん、迷惑かけるわけにいかないから、ウチ行くよ」 「あ……うん……どっちでも大丈夫」  留奈が少し頬を赤くして頷く。彼女は何か期待しているようだが、家に彼女を連れて行くつもりはなかった。タクシー代を持たせて自分だけ車を降りるつもりだ。  彼女の家よりも生吹の家の方が近かったようで、タクシーは間もなく生吹の住むアパートの前に差し掛かった。 「そこで止めてください」  生吹が言い、カバンから財布を取り出す。タクシーの扉が開いた、その時だった。 「……生吹?」
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!