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 激しい雨の音が聞こえ、慈は深い眠りからゆっくりと目覚めた。 「慈」  ぼんやりと開いた視界に、人影が映る。一度瞬きしてから開くと、そこには生吹がいた。心配そうな顔でこちらを見ている。 「生吹……ここ……」  自分の部屋ではない景色に聞くと、うち、と生吹が答える。 「ごめん……オレ……」  どうしてあの場に生吹が来てくれたのか、どうして今自分が生吹の部屋にいるのか分からなかったが、迷惑をかけたであろうことは分かる。  慈が謝ると、生吹が長いため息を吐いた。やはり呆れているのだろう。慈が生吹を見上げていると、その口がゆっくりと開いた。 「……慈の言う通りだった」 「……え?」 「おれも、雨嫌いになったよ」  そう言うと、生吹は慈の頬に触れた。いつの間にか治療されていたが、まだじんじんと痛むし、口の中も切れたようで、鉄の味がする。でも、生吹の指先は優しくて触れられた方が痛くないような気さえした。 「どう、して……?」 「雨じゃなかったら、女の子とお茶することもなかった。その間に慈が誘拐されて、こんな目に遭ってるとか……」 「え? 何? どういうこと?」  生吹の言っていることがちっとも分からなくて、慈は体を起こしながら聞き返す。生吹はそんな慈に手を貸してから話し始めた。 「慈と仲良さそうにしてたあの子……慈が席はずした時に気になって声掛けたんだよ。慈があの子を選んだとして、傷つく結果になるような子なら嫌だと思って。そしたら、あの女、慈は可愛いけどおれの方がタイプって、抜け出すこと提案してきて」  ダメだと思った、と生吹が言う。その横顔は本当に怒っているようだった。 「これ以上慈と話させたくなかったから、いいよって言ってビルの前で捨てて戻る予定だったんだけど……雨が降ってて、止むまで下のカフェに入ろうって言われて……そこでメッセージ送ったのに慈からは返信ないし」  慈が来たら帰ろうと思ってたのに、と生吹がまたため息を吐く。 「ごめん……てっきり、女の子と過ごすから、オレにもそうしろって言ってるのかと……」  慈がそう返すと、そうだよな、と生吹も頷く。 「雨が弱くなって、彼女だけを上手くタクシーに乗せて戻ったのに、慈は居なくて……ごめん、禁じ手を使いました」  生吹がそっと自分のスマホを差し出す。慈はそれを受け取って、首を傾げた。 「慈のスマホの位置情報見れるアプリ、内緒で入れてるんだ」 「……え?」  どうしてそんなものを入れてるのだろうという疑問はとりあえず無視され、生吹は話を続けた。 「それで、場所がホテルだって分かって、電話を掛けた。繋がったけどそこからは、慈の辛そうな声と怒号が聞こえて……迷わず交番に駆け込んだよ」  事の顛末を聞いて、慈は、そっか、と頷いた。 「ありがと、生吹……アプリはびっくりだけど、それで助かったんだから」 「助かってないだろ。こんな、酷い顔にされて」  生吹に言われ、慈は、はっとして布団の中へと潜り込んだ。  生吹の言う通り、今は酷い顔をしている。こんな可愛くない顔、生吹に見せられない。 「慈? どこか痛む?」 「……平気だから……生吹こっち見ないで。もう帰るから」 「帰るって言っても、外すごい雨だよ」 「傘くらい貸してよ」 「うち傘ないから」 「……嘘つき」 「あと、慈はどんな顔でも可愛いよ」 「それも嘘」 「破れたシャツ、残念だったな」 「それはごめん」 「でもまた買ってやるよ」 「……ホント?」  慈がそう聞いた時だった。突然強い力に布団が持っていかれ、慈が驚く。布団を引きはがしたのは生吹だった。 「シャツくらい、何枚でも買ってやる。その代わり、おれ以外の奴に触らせるな」  慈の上に馬乗りになった生吹が慈を見下ろす。それからすぐに言葉を繋いだ。 「おれが彼女作らない理由も、追跡アプリ入れてるのも、服を贈るのも……ちゃんと分かってる? 慈」 「い、ぶき……」 「電話の向こうで、オレは生吹としかしないって叫んでる声聞いて、あんな状況なのに嬉しいって思ったんだよ、おれ……おれもだって、おれも慈としかしたくないって言いたかった」  生吹が肩口に顔を埋めるように慈の体を抱きしめる。耳元に吐息が掛かり、慈の心臓はドキドキと早鐘を打っていた。 「好きだ、慈。ずっと、お前が好きだった」  外からの雨の音に紛れ、生吹の心地良い声が響く。慈はその言葉に驚いて、それからおずおずと生吹の背中に腕を廻した。 「……オレも、好き……ずっと、生吹が好きだった」  慈の目から涙が零れて落ちていく。その雫を感じたのか、生吹は慈から体を離した。 「泣くほど嬉しい?」 「うん……雨の日も悪くないね」 「……だろ? 明日も一日雨らしいから……こうして居よう、二人で」  生吹がそっと慈にキスを落とす。それからその体を抱きしめた。 「うん……次の晴れの日は、シャツ買ってね。生吹が可愛いって思うヤツ」 「……慈は何着てても可愛いからな。迷うよ」 「そんなわけないよ。生吹の嘘つき」 「……まあ、何も着てないのが一番だろうけど、嘘じゃないよ」  その言葉に真っ赤になった慈に生吹は再びキスをする。 「……それは、いつか、でお願いします……」  まだ生吹にこうして抱きしめられているだけでも心臓が壊れそうなのだ。次のステップ に進むにはきっと時間が掛かる。 「いいよ、慈のペースで進もう」  それは嘘吐かないから、と生吹が言って微笑んだ。
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