静けさの中の声

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静けさの中の声

「おいっ、止めろ」    ごみごみとした満員電車の人混みの中、それなのに不思議と静かな車内に、突然はっきりとした声が響き渡る。それを合図に人々の視線が一斉に声のした方へ向けられた。   「お前、その娘のこと触ってただろう。この痴漢野郎が」    続く声に、静かな車内にさざなみのように小さな声が広がっていく。『なになに、どうしたの』『えっ。痴漢? 最低』。そんな声がところどころで聞かれた。  そしてそれらの声とともに、多くの視線がある一箇所に集中していった。   「はっ? えっ。ち、違う。俺はなにも」    視線の集まる先にはひとりの男。慌てて手を万歳の形に上げて潔白を証明しようとしているが、男に向けられる目はどれも冷ややかだ。しかし男はそんな目の中にも助けを探しているのか、おろおろと辺りを見回している。皮肉にもその動きが、糾弾してくる男性から逃げているようにも見え、一層怪しく見えてしまうのだった。   「何もしていないなんてことはないだろう。俺は見てたんだ」 「い、いや。なにもしてない。な、なぁ、そうだよな?」    男が次に視線を向けたのは、すぐそばに立つひとりの女子高生。怯えたように俯き、微かに肩が震えているのが分かる。  小さなその姿と、動揺しあたふたと否定の言葉を吐き続ける男。周りの同情がどちらに向けられるのか、一目瞭然だった。
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