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Side C
貴男は不機嫌に目を擦って床を離れました。眉の間をうんと寄せて、いつも嫌というほど隣にいる友人の姿を探します。少し見つけるのに手間取ったのは、友人が外に出払っていたからでした。友人が床間に戻ってきたとき、貴男は顔をしかめながらもどこか安心したようで、友人が声をかけるのを待たずに話し始めました。
「嫌な夢を見た」
「うん?」
貴女は急に怒ったように話しかけてきた彼に、素直な心で話の続きを促します。彼女の笑顔に浄化されて、貴男の表情は柔らかくなりました。
「僕たちは作られた存在だった。この世界も全部作り物で、僕たちは与えられた役を演じてるだけ」
「嫌な夢だねぇ」
「僕たちは演じ続けなきゃいけないんだ。そうじゃなきゃこの世界は閉じられてしまう。あるいは都合がよくなるまで何度も書き換えられる。そうやって、作者の思い通りに話が進むようになってる。それがこの世の摂理だった」
「怖いねぇ」
「それだけ?」
貴男はまた不機嫌に戻りました。もっと大袈裟に恐れ戦くようなリアクションを期待していたのです。面目を潰された気分の貴男は、彼女をなんとか説得してみせようと躍起になります。
「ねぇ、君が望むのは何?」
「んー、みんな仲良く暮らせる平和な世界かなぁ」
「それが君に与えられた役だよ」
貴女はポカンと目も口も開けたまま固まりました。貴男はそれを見て内心満足してほくそ笑みながら、この機を逃すまいと畳み掛けます。
「君は平和を希求する役目なんだ。君はその役目を演じて、この世界の歯車として世界を進めていくために作られたんだよ。ねぇ、なんで平和を望むのか説明できる? それは本当に君が考えたことなの? 与えられた台本にそう考えるよう書いてるだけじゃないの?」
「だ、台本なんてもらってないもん……。ちゃんと自分で考えて、根拠だって、ある、はずで」
「その根拠だって誰かが書いたものなんだよ」
貴女は押し黙りました。彼の言うことこそ全く根拠のないものですが、彼の言うことを否定するだけの材料もありませんでした。貴女は妙な敗北感を覚えて、「与えられた役目」とやらも忘れて唇を尖らせてヘソを曲げます。
貴男はそれを見て少し嫌な予感がしました。貴男は彼女が――普段怒ることがないからこそ――こうなると面倒であることを知っています。貴男は負けじと胸を張りますが、ここから口論が始まってしまえば、引き分けにもつれ込みこそすれ勝ち筋はほぼありません。
しかし今回はいつもと違いました。貴女はしっかり深呼吸をして、冷静に自分の頭の中を分析しました。そして幾分トーンを落とした声で、「そっか」と呟きました。
それを聞いた貴男はギョッと身を縮めます。その答えは他に考え得るどんな返答よりも不気味で、いっそ言い返してほしいと思いました。貴男は慌てて、縋りつくように彼女に詰め寄ります。
「いいの? 誰かの思い通りなんて、僕は嫌だよ。ほら、納得いかないでしょ、ねぇ」
「でも思い通りにさせないと、世界が終わっちゃうんでしょ? それは平和じゃないもん」
「そんなものが君にとっての平和なの! 僕の命も人生も僕のものだよ。僕はそんな作られた『平和』に人生を棒に振りたくない」
「それも作者に作られた気持ちじゃないの?」
一瞬空気が凍りました。貴女は「ご、ごめん、別に意地悪を言うつもりはなくて、ただふと思ってつい」と弁明しますが、曇った彼の表情は変わりません。貴女は泣きそうな顔になりながら弁明を続けます。貴男に彼女の言葉は届いておらず、貴男は次のようなことを考えました。
(僕は「作者にとっての思い通り」に反抗するように作られた? 何のために? 予定された未来を壊すため? あるいは、ドラマを作るため? まさか、僕を追い出すため? もし役を演じなかったら僕は何を考える? こうして今悩んでることも作者の思い通り? じゃあ、僕の本心はどこにある?)
貴男はこのように思考を巡らせた後、恐ろしい気持ちに襲われて頭を振ります。呼吸がやや荒くなって、視線を左右に動かして動揺します。何度か言葉を紡ごうと思いますが音にはならずに終わります。それがさらに動揺を掻き立てます。
貴男のこの姿は見るに耐えないものでした。そこで、見かねた貴女が助け舟を差し出します。
「私はね、やっぱり平和がいいよ! だって、みんな仲良く笑えたらそれが一番じゃん!」
「それは、君が考えた答えじゃないでしょ」
「そうだとしてもこれはちゃんと私の気持ちなんだよ! 役目を演じてるだけだとしても、私はやっぱり平和を諦めたくないって思った。だからこれは間違いなく私の気持ち!」
「……何それ」
貴男は納得がいきません。晴れ晴れとした彼女の表情を微塵も理解することができませんでした。貴女は彼の戸惑いを漠然と把握しながらも、気にも留めずにグッドマークを掲げます。これが貴男の失笑を買いました。
「じゃあ僕は『僕でいたい』。それが僕の気持ちだ」
「うん!」
貴男は嘲るように笑ってこの話を終わらせるつもりでいましたが、貴女がニカッと笑い続けるものですから、つられて心の中から笑顔が出ました。貴男は彼女に敗けました。
そうして、貴方達は拳を付き合わせ、今後の歩みを誓い合うのです。
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