被害者・容疑者について

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被害者・容疑者について

 そろそろ、この被害者、川村龍彦という人物と、それからその従甥である川村伊織について、その経歴と人生を記載しておく必要があるだろう。  川村龍彦。遺体発見現場から五キロほど離れた、山奥の家に暮らしていた、七十三歳の男性だ。妻とは離婚していて、兄弟も二人いる子供もそれぞれ都会で暮らし、今は一人で広い家に住んでいた。川村家は古くは地主で、昔は製材業で栄えた家だったとのことだが、今はこの地域の下火の林業も細々としたもので、川村龍彦はほぼ自家消費のための農業、それから土地の上がりと年金で暮らしながら、時々友人を家に招いて麻雀に明け暮れるという生活を送っていたのだった。  一方の川村伊織を語る上では、まずはその母について語る必要がある。  川村伊織の母、川村アヤノは龍彦の従妹で、事件のおよそ一年前に亡くなっていた。川村アヤノには生まれつき脳に障害があり、学校に通ったり、町に働きに出たりすることができなかった。分家筋のアヤノの両親はアヤノを置いてどこへともなく消えてしまい、アヤノは本家で養育された。そんな彼女であるから、どこか外部の男との接点があったようには思われず、その妊娠は当時の川村家にとっては予想外で、気がついた時には産む以外の選択肢が無くなっていたようだ。  アヤノは結局、息子の伊織を産み、アヤノと伊織は川村家の所有物である、小さな離れの一軒家を提供された。最初アヤノは育児をしようと本人なりに努力していたらしい。だが川村伊織が小学生になる頃にはアヤノは、昼夜介護の手を必要としていた。川村伊織は中学で不登校になったが、なんとか卒業はしたらしい。それからはずっと自宅で母親の介護にあたっていた。その後、二人だけの生活をずっと送っていたアヤノと伊織だが、昨年アヤノは誤嚥性肺炎にかかり、病院で死を迎えたという。二人の生活はアヤノの障害者年金と、川村家、つまり龍彦からの援助で支えられていたらしい。  これら外的な事情からは直接推論することはできないとしても、これだけ特殊な家庭環境であるのだから、川村龍彦と伊織の間で何か感情的な行き違いがあっても不思議ではない。そして、その行き違いが殺人に発展したとして、人間の心とはそういうものだという感覚を私は持っていた。とすると、残る私の仕事は、川村伊織の供述の裏付け捜査を行い、それから、川村伊織が供述しないその殺害動機を推し量るための十分な証拠を探すことだった。
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