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「―――申し訳ない、駱駝の一頭でも渡せればよかったのですが」
「そんな……助かりました。水どころか、食料に薬まで頂いて。これ以上を求めてはバチが当たると言うものです」
商人の言葉に、巡礼者は安心したように頬を緩めた。
「なんの、野盗に襲われた不運が神の試練ならば、この出会いもまた神のお導き。何も気にすることはありません、全ては神のご意志によるのですから」
商人の一人は苦笑いをし、一人は表情を変えなかった。ふと苦笑いをした商人は、巡礼者達の一人が首に下げているものに目を留めた。
それは銀の地金に、金色の鷲の模様が刻まれた、手のひらほどの大きさの紋章を携えた首飾りだった。商人は一目て、それがかなり高価な品であることを見抜いた。
「それは……」
「ん……あぁ、これですか。この先の街で旅人から譲り受けたのですよ。我々に神のご加護があらんことを、と。聞けば遠く彼方の地にて、由緒ある術師の呪いが込められた護符でもあるとか」
「成る程……失礼ですが、少し触れさせていただいてもよろしいでしょうか」
いいですとも、と、巡礼者はあっさりと首から外し、商人の手に首飾りを委ねた。商人はいじくり回す振りをしながら、気づかれぬように、一箇所に傷をつけた。
「……あぁ、やはりそうだ、いやはや懐かしい……。こんな再会があるとは思わなかった」
巡礼者と仏頂面の商人は、そろって訝しげな視線を向ける。
「いや失礼、実は私も昔、この護符の世話になっていたことがあったのです」
「おぉ、なんと、そうでしたか……」
商人は懐かしげに目を細める。
「私はかつて、一つの商家に生まれました。夢などはありませんでしたが、商人の子に生まれた以上、商人になるものだと、なんら疑いを持っていませんでした。
だからひたすら、我が家の役に立とうと懸命に勉強し、学び、やがてある日、一つの商いを任されることになったのです。
その時、父からこの首飾りを預かりました。お陰で商売は無事に成功しましたが……」
そこまで言うと、商人は少し笑みを曇らせ、首飾りの裏側を見せる。そこには商人が先ほどつけた一文字の真新しい傷がある。巡礼者達は、そんな傷があったのか、と驚いた。
「成功を報告した時、父は言ったのです。
『これも、その護符の加護あっての賜物だ。神に感謝することだ』
……私は若く、自分の力に自信があった。だから許せなかったのですよ。私の手柄を、どことも知れぬ神に横取りされるのが。
気が付くと、近くにあった石ころで思い切り引っ掻いてました。こんなものになんの意味があるんだ、とね。そうしてから、近くにあった川に投げ捨ててやったのです」
商人は意味深に、おもむろに上着をはだける。巡礼者達は話に呑まれたようで、その一挙一動に注目して……そして、ギョッと身をひいた。
商人の胸には、時計に刻まれていたのと同じ形の傷が、生々しく付いていたのだ。
「負ったのはずっと昔……首飾りを傷付けた日と同じなのですが、未だに塞がらないのです。首飾りの傷も、変わらず生々しく残っておりますな。
突然嵐に襲われたのです。品を積んだ荷車も、それを引いていた馬も、馬を引く従者も、誰も彼もが暴風雨の中に消えてゆき、私は飛んできた板の切れ端に胸を裂かれ、そのまま気を失ってしまいました。
目を覚まし、ヨタヨタと実家に戻りましたが……そこには何もありませんでした。嵐の影響で、近くの川が氾濫を起こしていたのです。私の家と家族は洪水に流され、何処かへ行ってしまいました。
川に流された護符が、その報いに私の大切なものを全て濁流の彼方へ連れ去ったかのようでした」
巡礼者達は何も言わない。絶句し、恐れていた。商人はにっこりと笑い、首飾りを差し出す。
「貴方の仰る通り、神は我らの行動をよく見ておられるのでしょう。因果応報は世の常……。であれば、この首飾りは、我々にそれを教えるためにあるのかも知れませんな。
なに、粗末に扱わなければいいだけのことです。 しかし、もしよろしければこの首飾り、私が譲り受けましょうか? 何かの間違いで傷をつけて、その報いを受けるのも馬鹿馬鹿しいでしょう……」
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