8人が本棚に入れています
本棚に追加
悠 希 再び
合宿審査から帰ってきた二日後、僕は美奈の家、つまり親戚の家に行った。
「おばさん、ご無沙汰してます。悠希です」
「ああ、悠希君いらっしゃい。そうそう、デビューおめでとう。良かったわね~。あなたのお母さんから知らせの電話が来て、お母さんも、お父さんも本当に喜んでたわ。私も誇らしいわ。おめでとう」
「ありがとうございます。あの、今日は美奈に用事があるんですけど、いますか?」
「うん。部屋にいるわよ。さあさあ、上がって」
と言ってもらったので、二階にある美奈の部屋に行く。
「美奈」
ノックもせず、ドアを開ける。
「ちょっと~。ノックぐらいしなさいよ」
キレ気味に言ってくる。キレてるのは僕の方だ。
「ねえ、何度も電話したんだよ。なんで出ないんだよ」
と言うと美奈はそっぽ向いて答えない。
「美和と連絡取れないんだ。何か知らない?」
と聞くと、
「知らない。あ、間違えた。知ってる。でも悠希には教えない」
と答えてきた。
「なんでだよ。なんで美奈も美和も電話に出てくれないのさ。美和にすぐ会いたいんだ。美和の家知ってるでしょ。教えて。もしくは美和に電話かけて今すぐ。そして僕に代わってよ」
とまくしたてる。美奈は両頬を膨らませ、僕と目を合わせず、黙っている。
「ねええ~」
とせっつくと美奈はこう答えた。
「美和が自分で悠希に言うって言ってた。だから私の口からは言わない。まだ連絡しないのは自分の心の整理ができていないのだと思う。美和の連絡を待ってあげてよ。それに悠希は今大事な時でしょ。そっちに集中しなさいよ」
どういうことだ。僕は天井を見上げた。
「わかるでしょ。あなたが直面している現実を考えればわかるはず。本当はこれも私の口から言ってはいけないのかもしれないけど、美和のこと1ミリだって誤解されたくないからこれだけは言っておくね。美和はあなたのことを嫌いになったとかで連絡を絶ったわけじゃないから。悠希を思ってのことだから」
僕は床に座り込んだ。僕のデビューが決まったから別れるっていうこと?僕の足を引っ張らないようにってこと?美和がそう思ったことはわかるけど、僕のことを思って決めてくれたことだろうって理解できるけど、体に力が入らない。立てない。僕は体育座りをして両ひざの間に顔を埋めた。
あの時の美和の涙。合宿審査から帰ってきた日の翌日、僕の家からバイトに向かう美和を玄関で抱きしめた時の彼女の涙。あれは僕が合格したことがうれしくて流した涙などではなくて、別れを悲しむ涙だったということか。気づけなかった。あの時の僕は子供のころからの夢が叶った喜びと一か月ぶりに美和に会えた喜びで美和のことが見えていなかった。付き合う前、美和のバイクでレインボーブリッジが目の前に見えるぐるり公園に連れて行ってもらった時のことを思い出した。近すぎて見えない。気づけない。僕は一番近くにいた美和が見えていなかった。彼女の心のうちを気づいてやれなかった。もう一度、玄関で抱きあった時に時間を戻して、美和に伝えたい。あの時彼女を行かせるべきじゃなかった。彼女の手を離さなければよかった。美和に会いたい、美和に会いたい、美和に会いたい。それしか頭に浮かばない。冷静にならないといけないと思うけど、冷静になんてなれない。美和、君の声が聞きたい。
僕は一言も言葉を発せないまま美奈の部屋に座っていた。美奈も一言も発することなく僕の横に座っていた。どのくらい時がたったのかわからないけど、ふと美奈の手の近くに置かれている美奈のスマホに目がとまり美和に連絡する方法を思いついた。
「美奈、スマホ忘れてきたんだけど、事務所に電話しないといけないんだった。美奈のスマホ貸してくれない。」
嘘をついた。美奈のスマホには美和の電話番号や住所が登録されているはず。
「はい」
疑うことなく、美奈はスマホを僕に渡してきた。ロックを開けてもらい、LINEを開こうとしたがLINEもロックされていたので開くことができない。次に電話帳を開こうとしたら美奈にスマホを取り上げられた。
「何やってるのよ。事務所に電話するんじゃなかったの?」
見られていたらしい。
「美和に連絡する必要があるんだ。お願いだから。一生のお願いだから美和に電話して。僕の番号じゃ出てくれないんだ。美奈のスマホから電話したら美和はでるでしょ」
「それはそうだけど、さっきも言ったとおり、美和が自分から連絡するって言ったから。私は美和の気持ちを尊重したい」
「僕の気持ちも少しは尊重してよ。美和は間違えてる。そう思わない。仮に美和の判断が正しかったとしても、きちんと話し合う必要があると思わない?ねえ。そう思わない?」
僕は美奈の両腕をつかんで美奈の体をゆすった。乱暴かもしれない。でも今美奈を説得して協力を取り付けないと後悔する、そう思った。それでも美奈はうんと言わない。僕と目を合わせようとしないで黙っている。
「今の、こんな気持ちのままじゃデビューなんてできない。小さい頃からこの日のためにダンスも歌も頑張ってきた。レッスンが嫌な時だって、自分はダメだってくじけそうな時だって何度もあった。それを乗り越えての今だ。幼いころからの夢をつかんだ大事な時だって自分でもよくわかってるよ。でも気持ちを切り替えられない。お願いだから美奈。美和と話をさせてよ。それで美和が別れるって言ったら美和に従うから。ありがとうとさよならを美和に伝えさせてよ」
それでも美奈は僕と目を合わせようとはしない。が、かたくなだった表情がすこし迷った表情に変わった気がした。もう一度スマホを寄越せというように手を美奈の方に突き出した。少し待ってみたが、美奈は渡してくれない。僕は立ち上がり言った。
「いいよ。美奈。美奈は僕に協力してくれないんだね。いいよ、一人で美和の家を探す。この近くに住んでるんだよね。小学校の幼馴染だから。一件、一件覗いて美和のバイクを探す。美和のバイクが置いてある家が美和の家で、今家にいるってことだよね。朝までかかっても、二、三日かかっても僕は探すよ」
と捨て台詞を吐いて美奈の部屋を出た。そして玄関先で「お邪魔しました」と声をかけ外に出る。どこから探すべきか……。美奈の自宅の右の家から、家の周囲を見回してバイクがないか探す。屋内駐車場になっていたらお手上げだな。と思いつつ、探していく。三件目を覗いていると後ろから肩に手をかけられた。ドキッとして振り返ると美奈だった。
「美奈」
「こんな夜遅くに他人の家を覗いていたら警察呼ばれるよ」
「じゃあ美和の家を教えてくれる?」
「ううん。教えてはあげないけど、不審者に間違われて近所の人が家から出てきた時や警察が来た時に備えて、一緒にいてあげる」
本当に美奈は一筋縄ではいかない。どこまでもいとこの僕よりも美和を優先する。僕は美奈に背中を向けて美和の自宅探しを再開した。美奈が僕の少し後をついてくる。
「ふん」
僕は顔を斜め上にあげて美奈に怒っているという意思表示をした。そんなことをしても美奈はへっちゃらだってわかっている。小さい頃はこんな頑固な子じゃなかったのに。と考えてあることに気づいた。
「あれ?美奈ってさ、子供の頃よく入院してなかったっけ?」
「うん。小さい頃は何度か入院したね。でもすっかり丈夫になって中学は皆勤賞だよ」
ふふんと美奈は自慢げな表情をする。
「美和が前に小学校の頃、病気がちで、言いたいことがあまり言えない仲良しの女の子がいて、私が守らなきゃって、ナイト気取りだった、みたいな話をしてくれたんだけど」
「ああ、それは私のことだね」
そうか、この二人は小学校のころからお互いを守りあっていたのだ。言いたいことがあまり言えないなんて言うからまったく美奈と結びつかなかった。そりゃあいとこの俺より優先するよなあ。と納得できた。
一件、また一件とバイクが停められていないか確認しながら僕たちは歩いた。美奈が答えを知っているはずなのに、なんにもヒントをくれなかった。
一時間ほど歩いた頃、美奈が
「悠希~。もう疲れた。家に帰ろうよ~」
と言ってきた。
「僕は見つかるまで、朝までだって探すよ。美奈疲れたなら帰ればいいじゃん。僕は一人で大丈夫だから」
と言い返す。美奈は自宅に帰らず、とぼとぼついてくる。
「ねえ、ねえ、悠希。お腹すかない?ちょっと戻ったところにおいしいラーメン屋があるんだけど、一休みして食べに行こうよ~?」
と美奈が僕の腕をとってしきりに引っ張ってくる。
「お腹すいてない」
と言い返し、あることに気づいた。
「ねえ、もしかしたら美和の家この辺りなんじゃないの?だから阻止しようとしてない」
美奈の顔が真顔になった。ビンゴ。僕は周囲を根気よく探し、ようやく美和のバイクが停まっている家を見つけだした。
二階の部屋に明かりがついている。時刻は深夜零時を回っている。ここで大声をかけても良いものか迷う。とりあえず普通の話し声より気持ち大きな声で
「美和」
と二階の方に向けて声をかけてみた。慌てて美奈が僕の口を手で塞いできた。
「やめなさいよ。今何時だと思ってるのよ。本当に警察呼ばれるから。迷惑だから大きな声を出すのはやめてよ。」
美和に会えないと、ここまで探して歩き回った意味がない。
「だったら電話してよ。あの二階の明かりのついている部屋美和の部屋なんじゃないの?だったら起きてるはずだから、早く!僕大声出すよ」
「お願いだから大声はやめて」
と美奈と言い合っていると明かりのついている窓に人影が見えた。
「美和」
僕は先ほどより少し大きな声で呼んだ。
「ちょっと。いい加減にして。怒るよ」
と美奈が再度僕の口をふさいでくる。
窓の人影はカーテンに隠れているようだ。じっと見ていると、カーテンから腕が覗いて、手をバイバイというように振った。かと思うとカーテンが閉じられ、さらに部屋の明かりが消された。僕に気づいて、外に出てきてくれる。そう思ってその場で静かに待った。でもいつまでたっても美和は外に出てきてくれはしなかった。僕は泣いた。その場で立ち尽くしながら。顔も見せずに手でバイバイ。それだけ?それで僕たちは終わりなの?
気づいたら僕は地面に座っていた。空はしらじらと明るみ始めていた。美奈が
「家に帰ろう」
とめずらしく優しい声で言ってきた。僕は立ち上がり、素直に美奈の言うことに従った。
僕は毎日デビューに向けレッスンの日々を送った。デビューが決まったというのに暗い顔をしていることを気にした事務所の社長には美和とのことを正直に話した。当面は無理だけど、永遠に恋愛できないわけではないから、その時が来たらまた恋をすればいいと言ってもらった。僕はいつか美和を迎えに行く日がきっとくると信じて、それまで歌とダンスに全身全霊で取り組むと決めた。そしてかかることのない美和への電話をかける事をやめた。
最初のコメントを投稿しよう!