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神様がくれた1日
何を食べても味がしなくて、何を見ても綺麗だと思えない。シロという半身を失った私の人生は無味乾燥なものとなった。
精神科に通ったところで、シロを失った悲しみが癒えるとは到底思えなかった。私のとてつもない痛みを「ペットロス症候群」と勝手に一言でラベリングする大人たちに憤りを感じた。私にとってシロはただのペットでもただの犬でもない。
病気とは無縁だったので、最後に総合病院に来たのは10年近く前だった。小学校2年生の時、車からシロを庇い、轢かれて大怪我をしてここに入院していた。足と顔には未だに傷が残っているが、隠そうと思ったことは1度もない。シロを守った証を誇らしく思っている。制服のスカートを冬でもわざと短くして傷を見せびらかした。
入院をしたことで初めて、生まれた時からずっと一緒だったシロのいない夜を過ごした。
「何で他の子の兄弟はお見舞いに来ていいのに、シロは病院に入っちゃダメなの? シロはいい子だから吠えたり噛んだりしないもん!」
看護師さんにそう食って掛かった。小学生の頃だったとはいえあの時の私の言動は非常識極まりなかった。暇だからといって車椅子で廊下を危険運転したり、宝探しと称して見知らぬ人の病室に好き勝手に侵入したりした。入院先で仲良くなった同い年の子とシロの共通点を見出して勝手に同一視した。
シロは私にとってはかけがえのない家族だが、他人にとっては会ったことのない犬。犬呼ばわりされたあの子はいつもニコニコしていたけれど、決していい気はしなかったと思う。それに、食事制限をしている子の前でお菓子を食べたり、学校やシロとの外遊びの話をしたりとかなり無神経だった。高校生になり多少分別のついた今思えば、顔も忘れてしまったあの子には申し訳ないことをした。
大して効果のないカウンセリングを終えて病院の敷地を出ると、不意にシロを思い出して涙が零れた。
「エリちゃん!」
その時、追いかけてきた同じくらいの年の男の子に名前を呼ばれた。知らない子だった。私をエリちゃんと呼ぶのは母くらいだ。学校の友達は私のことを名字の小早川からとって「コバ」と呼ぶ。それは小学校の時からずっと変わらない。
「誰?」
ストーカーの5文字が頭をよぎり、後ずさりしながら彼を見る。客観的に見て彼の顔立ちは整っていて、わざわざそんなことをしなくても普通に恋人くらい作れそうなものなのに。夏だというのに一切日焼けしていない彼に比べて、陸上部の私は去年の色が抜けきらないまま重ねて日焼けして女の子らしさの欠片もない。なんでわざわざ私に? という違和感もある。
「僕、シロです」
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