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我が家は目と鼻の先だ。今は家に誰もいないから、帰ったらシロと2人きりだ。シロが生きていた頃は当たり前の日常だった。でも、シロが人間の姿だと言うだけで今までとは全然違う。
隣を歩くシロの横顔はかっこいい。人間の姿だと意外と背が高い。犬のシロの声も大好きだったけれど、人間のシロの声も好き。さりげなく車道側を歩いてくれる優しさはまるで王子様みたい。
シロは男の子なんだ。それで、私をすごく大事に女の子扱いしてくれる。シロに楽しんでもらうためのデートだったはずなのに、私の方がいつの間にか夢中になっていて、私ばっかりドキドキしていた気がする。言い逃れできないくらい、私は人間のシロのことを一人の男の子として好きだ。
そんなドキドキを抱えたまま、家について玄関に入る。私の緊張をよそに、シロが告げた。
「じゃあ、僕はもう行くから。今日は本当にありがとう。元気でね」
シロが何を言っているのか分からなかった。
「なんで……? 最期まで一緒にいたいよ」
「あー……ごめんね。最期の瞬間はエリちゃんに見られちゃいけないんだ」
「シロの言ってること、よく分かんないよ」
「ほら、こういう奇跡のお約束的なやつ。ルール破ると天国いけなくなっちゃうみたいな感じ」
「嫌だ、行かないで!ずっと一緒にいてよ!」
私はデート前と同じように泣いてシロに縋りついた。今度こそ永遠のお別れ。寂しい。悲しい。苦しい。神様がくれたボーナスタイムも全然足りない。私の寿命をシロと半分こできればいいのに。
シロは親指で私の涙を拭った。
「エリちゃん、泣かないで。これ、エリちゃんにあげるから」
シロに小さな紙袋を手渡される。金色の箱に、犬のロゴと英字。海外のメーカーのチョコレートだった。デパートでこっそり買ったのだろう。
「エリちゃんが元気になりますようにっておまじない。大事に食べてよ、僕からの最期のプレゼントだからさ」
シロは私の味覚障害を気にかけてくれていた。私は最後の最後まで、天国へと旅立つシロに心配をかけていた。
「僕がいなくなっても、もう泣かないでね。涙でしょっぱいチョコなんて美味しくないでしょ?」
シロが笑う。優しいシロは私に思い出を作るために1日一緒に過ごしてくれた。私が前を向けるように。だから、笑って送ってあげないとシロは安心できない。頑張って口角を上げて笑顔を作った。
「バイバイ、エリちゃん。大好きだよ」
シロは「大好き」を、恋としての好きなのか家族としての好きなのか明言しなかった。でも、私にとってはいつの間にか今日の恋人ごっこはいつの間にかごっこ遊びではなくなっていた。
私も言わなきゃ。涙をこらえて、シロはすぐ近くにいるのに思いっきり叫んだ。この気持ちが少しでも強く、シロに伝わるように。
「私も大好きだよ! ずっと、忘れないから!」
シロが目を見開く。キラキラした瞳が一層光る。シロは微笑むと、私が持っていたチョコレートの箱に手を伸ばす。蓋を開けて一粒チョコレートを取り出すとそれを咥えた。
私の頬に手を添えると、そのまま顔を近づける。やっぱり目が綺麗だと見惚れていたら、そのままそのチョコレートを私に食べさせた。一瞬だけ、シロの唇が私の唇に触れた。
放心状態の私の髪をそっと撫でると、シロは私に背中を向けて歩き出す。ドアを開けて、玄関を1歩出た後、シロはもう1度振り返って手を振ってくれた。
「さよなら」
シロがそう言ってドアを閉めた。この扉を開けちゃいけない。追いかけちゃいけない。泣いちゃいけない。
シロと過ごした16年間の思い出と、1日限りの淡い初恋を胸に抱いて私は明日からも生きていく。シロに誇れるように、前を向いて生きていく。
そんな決意を胸に、シロが食べさせてくれたチョコレートを噛んだ。口の中でガナッシュがとろける。久しぶりに味がしたそれはちょっとだけ苦くて、とびっきり甘かった。
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