シロの初恋

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シロの初恋

 学校に行けた日数は数えるほどしかなかったから同年代の友達はほとんどいない。しかし、比較対象のサンプルがいくら少なくても分かる。僕の初恋の人は型破りで活発な人だ。  交通事故に遭って入院してきたその女の子、小早川エリは第一声で僕の心を丸ごと奪った。 「私、エリ! 2年生! ねえ、友達になろうよ!」 「鈴原史郎です。よろしくね。2年生ってことは……同い年だね」 「シロ? うちのワンちゃんとおんなじ名前だ! しかも、目の色もおんなじ! すごーい! じゃあ、私達、もう親友だね!」  僕に向けてくれた眩しい笑顔。あの日からずっとエリちゃんは僕の女神様だった。  外の世界を知らない僕に彼女は世界の色を教えてくれた。白い病室しか知らない僕の心は君のおかげでカラフルになっていく。 「誕生日に、お父さんとお母さんが遊園地に連れて行ってくれたんだよ! 観覧車とかジェットコースターとかコーヒーカップがあるの!」  楽しそうに話すエリちゃんを見ているだけで幸せな気持ちになった。 「観覧車はねー、近所のデパートの屋上にもあるんだよ! 観覧車に乗るとね、街が全部見えるの! おうちの屋根も学校も全部見えるんだよ。あとね、お父さんとお母さんが結婚式した教会も! この間お母さんが教えてくれたんだ」  エリちゃんの目はいつもキラキラしていて、僕はいつも見惚れていた。 「シロちゃんも何か面白い話してよ」  僕の世界の全てともいえる女神様は、彼女の愛犬をシロ、僕をシロちゃんと呼び分けた。外の世界を知らない僕にとってはとんだ無茶ぶりだった。でも、入院生活で退屈しているであろうエリちゃんに少しでも楽しんでほしくて、少し前に読んだ本の話をした。  児童文学のよくあるファンタジー冒険譚。伝説のお宝を探して旅をする男の子と女の子の話。僕の話は全部誰かの受け売り。それなのに、エリちゃんは大きな目をキラキラさせて僕の話を聞いてくれた。 「すっごーい! シロちゃん物知りなんだね!」 「誕生日に、お母さんがいっぱい本買ってくれたんだ」 「そうなんだ! シロちゃんって誕生日いつなの?」  僕の何億倍も広い世界を知っているエリちゃんが僕に興味を持ってくれた。 「10月27日」 「すごいすごい! 誕生日までシロとおんなじなんだ! やっぱりシロちゃんは最高ね!」 彼女に肯定されたことで、生まれてきてよかったと初めて思えた。  彼女の存在そのものが、僕の生きる希望だった。僕の病状は一時的な回復を見せた。ある朝、今までで調子が良くて、歩き回っても大丈夫そうだと感じた。いつも病院中を車椅子で爆走しているエリちゃんについていきたいと言った。 「じゃあ、今日は一緒に宝探ししよっか!」  僕はエリちゃんの車椅子を押して色々な人の病室を回った。エリちゃんはほとんどの病室の人と顔見知りになっていた。エリちゃんが宝探しをしていると言えば、ちょっとしたものをくれる大人もいた。  楽しく宝探しをしていたのに、女の子なのに顔に傷が残るなんて可哀想だと入院中のおばさんたちが噂している現場に居合わせてしまった。エリちゃんが傷ついてしまったらどうしようと本気で心配したけれど、当の本人はあっけらかんとしていた。 「残る方がかっこいいじゃん!私とシロの友情の証みたいで!シロちゃんもそう思うでしょ?」  僕は自分の体の手術の痕をコンプレックスに思っていた。堂々としている彼女を心底かっこいいと思った。 「うん、かっこいい。僕の傷と違って」 「シロちゃんも傷があるの? じゃあ、おそろいだね!シロちゃんもかっこいい。私もかっこいい。知ってる? かっこいい2人組のこと、大人の言葉でバディって言うんだよ。私たち、世界一かっこいいバディじゃない?」  その日から、きつい治療も何もかも辛くなくなった。エリちゃんがいるから頑張れる。中学生になるまで生きられないと言われていた僕が16歳の今生きているのはエリちゃんがくれた奇跡だ。  ある日、エリちゃんがお母さんにもらったチョコレートを僕に分けてくれた。 「ねえ、シロちゃんにもチョコあげる!」 「ごめんね、食べられないんだ。せっかくエリちゃんがくれたのにごめんね。僕、おかしいよね」  大好きなエリちゃんがくれたものだから食べたかった。病気でお菓子が食べられない自分の体を呪った。でも彼女は一切気を悪くすることなく、目をキラキラさせた。 「チョコ食べられないことまでシロとおんなじなのね!シロちゃん、絶対シロと仲良くなれそう!」 「シロくんもチョコ食べられないの?」 「そうなの! ワンちゃんってチョコ食べると死んじゃうの。だから、チョコがお菓子の中で1番好きだけど、シロが間違って食べないようにおうちでは食べないようにしてるの」  滅多に食べられない1番大好きなお菓子を僕に分けてくれたその事実が嬉しかった。  その後同室になった人がお見舞いでもらった高級チョコレートを食べている姿を見たことは何度かある。そのチョコレートの香りを嗅ぐたびに僕は彼女を思い出すことになる。  中学生になる頃に読んだアステカ神話を題材にした本の中に、「昔、チョコレートは神様の食べ物と言われていた」という記述があった。記憶の中でエリちゃんがチョコレートを食べる姿が神格化されていく。事実として、大人たちが食べていた一粒数百円の高級チョコレートよりも、あの日エリちゃんが食べていた銀紙に包まれた病院の売店でも売っているようなチョコレートの方が僕には美味しそうに見えた。   エリちゃんは退院する時に、折り紙の犬をプレゼントしてくれた。 「いつか、シロとシロちゃんと3人で遊ぼうね。約束だよ!」 「治るかな、僕の病気」 「大丈夫! 絶対治るよ! これ、お守りにしてね!」  その言葉とお守りは、僕にとって何よりの希望になった。本当にいつか病気が治って、また会えると信じていた。だって、エリちゃんは女神様だから。  僕は女神さまがくれたお守りに何度もお祈りした。 「いつかエリちゃんと一緒に外で遊べますように」  でも、結局その後エリちゃんと僕が会うことも、僕の病気が治ることもなかった。  僕の病状は進行し、ついに手の施しようがなくなった。今度こそ本当にいつ死ぬか分からない。10歳まで生きられないと言われていた僕が余命宣告を覆して、この年まで生きていられたのは奇跡だ。エリちゃんとの思い出が僕を支えてくれていたのだと思う。元気になってエリちゃんともう1度遊ぶ日を夢見て今日まで生きてきた。  どうせ死ぬのなら、最期に自由が欲しかった。エリちゃんのようになりたかった。外に出て、エリちゃんが見てきた世界と同じ景色を見たい。叶わないと分かっているけど、エリちゃんにもう1度会いたい。あの日食べられなかったチョコレートを、エリちゃんと一緒に食べたい。
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