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第五話 【幸せと芝生】
「──なあ、お前。幸せか?」
突然橋の上で声をかけられた。
身なりから察するに、所謂ホームレスというやつだろう。
俺はホームレスの問いを無視して急いでその場を去ろうとした。
今は仕事帰りで疲れている。あまり面倒事には構っていられない。
「幸せな訳ねえよな。目を見れば分かる。お前、しょうもない奴だな」
ホームレスは背後からそのような言葉をかけてきた。
──頭に来る。
俺はすぐさま引き返し、ホームレスの胸ぐらを掴んでやった。
「分かるぜ、お前が怒る理由。ホームレス如きが俺を見下してんじゃねえって、俺より不幸な奴が何様だって、そう言いたいんだろ? じゃあ聞くが……お前が俺より幸せだと思っている理由はなんだ?」
そう言われた途端、俺は反射的に胸ぐらを掴む手を解いてしまった。
──痛いところを衝かれたからだ。
「仕事帰りでイライラしてたんだろ? だからいちいち俺みたいな奴の安い挑発に乗っちまったんだ。俺がイライラしたことなんて、少なくともここ半年は無かったぜ」
ホームレスは笑いながらそう話した。
「俺は今幸せだ。なんせこうして生きているからな。お前はどうだ? 俺には幸せからほど遠い場所に立っているように見えるぞ」
ホームレスが放った言葉。それには重みが無かった。俺が奴自身のことを、ホームレスのことを潜在的に侮っているからだろう。
だが、なぜだ。なぜ奴の言葉はこうも的を射ている……?
「人は自分に無い物ばかり欲しがる生き物だ。ほら、隣の芝生は青いって言葉があるだろう? あれと同じだ。もしかしたらお前は今幸せなんじゃないのか?」
そこまで聞いたところで、俺はまたホームレスに背を向けた。
なんだか気持ちが落ち着いた気がしたからだ。
「役に立てて良かったよ。お前、今にもこの橋から身を投げそうな勢いだったからな。それくらい気持ちが沈んでいるように見えた」
ホームレスの言葉を背に、俺はゆったりとした足取りで帰路に就く。
──確かに俺の芝生の方が断然青い。だが、なぜかホームレスの芝生の方が羨ましく見えた。
そうだ、今度の休日、新しく趣味になるものを始めてみよう。
──ガーデニングなんて良さそうかな……
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