3杯目のクラフトビール

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「遅刻は、相手の時間を盗んでいるとの同じだから」 あのとき先輩に言われた言葉が、僕を覚醒させたのだ。 ビリヤードのように真ん中の白い玉を完璧に捉えたのだ。 そして全てのカラフルな玉たちは穴の中に真っ直ぐ落ちて行った。 僕は泥棒になりたくなかった。 ルパン三世も五右衛門も好きだけど、泥棒にはなりたくない。 そして盗まれるのはもっと嫌だ。 自分の何かを盗んだ奴は、徹底的に懲らしめなければ気が済まない。 遅刻にも事情があるのは分かっている。 事情がある遅刻と、事前に遅刻を告知してきたときは、怒りは起こらない。 最悪なのは、遅刻してきて平然としていること。 謝りもせず、何事もなかったかのように、そいつはそこにいる。 きっとそいつは、太陽が西から昇ってきたことにすら気付かないフリをするんじゃないかな。 ここのクラフトビールが美味いから、もう少しそいつの話をさせてもらうね。 そいつとは高校時代からの友達なんだ。いつも昼休みに弁当を食べて、放課後は馬鹿なことを言っていた。 僕は東京の大学に行って、そいつも同じ大学に一年遅れで進学してきた。 大学生になっても東京で暮らしても、僕らの関係は友達そのもだった。 当時の僕らがハマっていたのは、女子大学の学園祭めぐりだった。 女子大学のキャンパスは秘密の華園。普段は守衛の男が門のところで不審者を監視している。 僕らみたいな男達が勝手に入ってこないよう、砦に籠もったスキピア人のごとく目を凝らしている。 だけど、そんなスキピア人も秋の学園祭にはいなくなる。 秋の学園祭になれば、僕らも秘密の華園に足を踏み入れることができる。 そいつとは色んな女子大の学園祭に繰り出した。 一日に複数の女子大を梯子することもあったな。 真面目な展示コーナーに興味のあるフリをして、可愛い女子大生を僕らは横目で追いかけていた。 そして女子大生が話しかけてくれるのを待っていたんだ。 ただね、そいつは遅刻魔でね、よく遅刻してきたよ。 そして謝ることをしなかった。 むしろ友達なのだから、多少の遅刻は当然だみたいな顔をしていたよ。 あれはそういう呪いにかけらているのかな? だったらそう言ってくれれば、僕もあんなことはしなかったのに。 その日も都内の女子大学の学園祭に行く約束をしていた。 待ち合わせは午前11時に、女子大学の正門の前。 僕は泥棒にはなりたくないから、きっちり5分前には到着している。 そいつはね、30分ほど遅れてきたんだ。 しかも事前のメールもせず、謝りもしなかった。 早く中に入ろうと言っていたよ。 そいつを待っていた35分の中で、僕は鬼になっていた。 理性なんてものは吹っ飛んで、烈火のごとくそいつを罵ったね。 人目も憚らずに、大きな声で汚い言葉でそいつを串刺しにしてやったんだ。 「二度と俺の前に顔を見せるな」 僕は最後にそう言って、女子大の正門はくぐらず、渋谷方面に歩き始めた。 あの女子大の学園祭に行けなかったことだけが、今も後悔している。 「人生最大の後悔は何ですか?」とインタビュアーに訊かれたら、迷いなく「○○女子大学の学園祭に行けなかったことだ」と答えるだろうね。 そいつとはそれから会っていない。 絶交したんだよ。絶交というのは我々のためにある言葉なんだ。 少し呑み過ぎたみたいだ。本当にここのクラフトビールは美味しいね。 君が呑み比べをさせるから、僕は話し過ぎたみたいだ。 「さあ、次は君の番だ。君の話を聴かせておくれ」 新しく運ばれてきた黒ビールを男はちびっと一口呑んだ。
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