リベイク

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2. 歓送迎会当日。 訪れた店は、こぢんまりとしたイタリアンだった。 狭い間口に設えられた重厚な木製のドアを開けると、カウンターが5席にテーブル席が5卓ほどの空間が広がる。ビルのテナントで天井は低く、ライトダウンされた店内は入口のドアと同じ木製の家具で統一され、落ち着いた雰囲気で食事ができそうだった。 店に入るなり、カウンター越しにキッチンを覗き込み、伊東が店のマスターに軽く挨拶をした。 「今日は宜しく」 「はいよ。カシさん、久しぶり」 「どーも」 どうやら伊東と樫木はマスターと知り合いらしい。 樫木が「カシさん」と呼ばれた事にビックリして、建はまじまじと樫木を見た。そんな様子に構うでもなく、5人は店の一番奥のテーブル席に座った。 「2卓使ってくれて構わないよ」 キッチンからマスターが声をかけた。 「忙しいのに悪いね、ありがとう」 伊東がすまなさそうに礼を述べる。 「いや、平日だし何てことないさ。 それより料理はお任せで良かったのかな?」 「ああ、頼むよ」 流石に大の男5人で1卓は窮屈感が否めない。 お言葉に甘えて、奥2卓に分かれて座った。 平日の遅い時間帯。客はカウンターに1人と、入口近くのテーブルに男女が1組だった。 マスターと軽いやり取りの後、伊東がドリンクメニューを開く。 少し緊張した面持ちの建に、相変わらずポーカーフェイスの青木、林は興味深そうに店内を見回している。一同がメニューを覗き込んだ。 「あの…お代とかは?」 「お前なぁ、来て早々に」 呆れた伊東だったが、建の様子からきっとこういう店に来慣れていないのだろうと予測がついた。 「今日は気にするな」 「ありがとうございます!」 パッ、と建の表情が明るくなった。 林はモスコミュール、青木はソルティドックを注文した。 「建は?」 「えぇっと…」 建はお酒の事はよく分からない為、素直に聞く事にした。 「あんまり分からないので、オススメありますか?」 「カシスオレンジなんかはどうだ?要はアルコール入りのオレンジジュースだ。甘くて飲みやすいぞ」 「じゃぁそれで!」 「マスター!」 程なく全員分のドリンクと、お通し代わりのナッツが運ばれてくる。 「乾杯」 伊東が言うと、各々グラスを軽く上に上げた。 一口カクテルを口に含みナッツに手をつけながら、建はたまらず聞いた。 「オーナーと店長って、ここのマスターとお知り合いなんですか?この店にはよく来るんですか?」 「ん?ああ、まぁな…」 「タクさんは元同僚で、今はここの常連さんだよ」 最近はちょっとご無沙汰ぎみだったけどね、と前菜の甘鯛のカルパッチョとブルスケッタをサーブしながらマスターが答えた。 「あれ?何だ、話してないのか」 「まぁな」 マスターは意外そうだ。 単に話す機会が無かっただけで、隠していた訳では無い。仮に話す機会があったとしても、自分の事など話しても仕方ない、という気持ちが伊東にはあった。 「んんん?タクさんってオーナーの事ですか?オーナーも、前は料理人だったって事ですか?」 建がマシンガンの如く勢いで質問をする。 「拓真(たくま)って名前だから、タクさんって呼んでるんだ。料理人ではないよ」 マスターはチラリ、と伊東の方に目を向けた。 彼は外方を向き、白ワインのグラスを傾けている。 「あれ?このバゲットってもしかして…」 ブルスケッタを口にした林が思わず口を開いた。 「ああ、うちの店のバゲットだ」 隠すでもなく、淡々と樫木は返した。 「やっぱりタクさんのバゲットが一番だからね」 マスターはニコリと笑う。 伊東や樫木と違い、よく笑い喋る人だ。 やっぱり美味しいですね、と頬張る林。青木は無言だが、噛み締めるようにバゲットを味わっている。 「あれっ、料理人じゃない?オーナーのバゲット?作ってるのは店長なのに?」 建は一人混乱している。 「あの…」 建が再び口を開きかけた時だった。 「すみませ∼ん」 「はい!続きは後でね」 軽く目配せすると、マスターは客の方へ向かった。 そういえば、と伊東はここぞとばかりに話を変えた。 「林は、どんな感じの店にするつもりなんだ?」 全員の視線が林に集まり、林は少し身じろぎした。 「どんな方でも入りやすい、地元の方に愛されるようなお店にしたくて…店の内装なんかは今設計中です。上手く纏まれば、秋口には着工できるかと」 「最近パン屋も増えてきたしなぁ…何かコレってもんが無いと難しいよな」 樫木も加わる。 「店の名前は決まったのか?」 「それがなかなか決まらなくて…オーナーは、どうやって店の名前を決めたんですか?」 「ん?」 伊東の経営するパン屋の名前は、「giglio(ジージョ)」。 あまりパン屋さんらしい名前ではない。 建も青木も、意味や由来など考えた事がなく、興味ありげに伊東の方を見る。 当の本人は、まさか自分に話が回ってくるとは思わず困ったような表情をした。 「どうやって決めたっけな…」 「イタリア語で『百合(ゆり)』って意味だよね」 伊東の曖昧な返答に、マスターが割って入った。言ってしまってから、マスターはハッとした表情をして伊東の方を見た。お互い、苦笑いで誤魔化す。 「へぇ…イタリア語だったんですね!」 林はなるほど、と納得した。 「顔の割に可愛いらしい名前なんですね!」 建が悪びれもせず言うと「一言余計だぞ」と伊東が建の頭をゴツいた。 「建くん、グラスが空いてますよ。何か飲みますか」 横から林がメニューを差し出す。 そこで、その話は途切れ伊東は安堵した。 「お待たせしました、牛肉のタリアータバルサミコ酢ソースと、スズキのアクアパッツァです」 「美味そう…!」 建が目をキラキラさせながら料理を見つめる。 「温かい内に召し上がれ」 その様子を見たマスターも嬉しそうだ。 ピッツァとパスタも作るからね、たんと食べて。と、またキッチンに戻っていった。 「何食べても美味いが、特にパスタは絶品だぞ」 伊東はそう言ってアクアパッツァを取り分けた。 一同、雑談を交えながらしばし食べるのに集中した。いつの間にかテーブル席にいた客も居なくなり、残るは伊東達5人のみ。 アクアパッツァとタリアータが残り少なくなった頃、ピッツァとパスタがサーブされた。 「水牛モッツァレラのマルゲリータとジェノベーゼ、それと」 「チャパタですね」 林がパンの入ったバスケットを覗き込む。 「そうそう!ジェノベーゼを食べた後、残ったソースを付けて食べると絶品だよ」 うちのパンですね、と林が嬉しそうに言う。 マスターもにこやかに返しながらカウンター席に座った。傍らには、ワイン。 伊東が壁にかかった時計を見た。 22時半過ぎ。 ラストオーダーの時間を過ぎている。 「ゆっくりしてって。最後はドルチェあるし、食事が足りなければ作るから」 コックコートの前を寛げワインを傾けながら、いくらかリラックスした様子でマスターが言う。 「いいのか?」 「今日は特別」 ニヤリ、とワイングラスを持つと乾杯の真似をし、ワインを口に含む。 「美味しい!!」 ジェノベーゼはあっと言う間に無くなり、チャパタにソースを付けて食べていた建が大きな声を上げた。 「だろう?タクさんとこのパンはうちの料理と相性がいいんだ」 「本当に!ビックリしました!パンのためソースがあるんじゃないかっていう」 「それは失礼だろう…」 ニコニコしながらパンを頬張る建を、伊東は苦笑いしながら見ていた。 「前はね、リゾート地にあるホテルでイタリアンのシェフをしてたんだ。タクさんはそこのホテルのベーカリーシェフだったの」 「えええ!」 余りに意外なオーナーの経歴に、林、青木、建は驚く。樫木だけは知っていたようで、平然とした顔でウイスキーのロックを傾けている。 「料理が売りのホテルでね、レストラン、ベーカリー、パティスリーの専門店がそれぞれホテルに入ってたんだけど、各セクションが協力してシーズン毎に変わるコース料理を提供してたんだ」 そしてマスターは、グラスにあったワインを飲み干した。 「互いの料理やパンの味をよく知っているから、合うんだよね」 「オーナーが居たホテルって…」 殆ど喋らなかった青木が突然独り言のように呟く。 「俺の話はもういいだろ、ミヤ」 オーダーストップ後、他の客も居ない状態だったため、プライベートの呼び方に切り替えた伊東は軽く制した。このままにしておくと、この男はあれもこれもと喋りかねない。 「ミヤ?」 「ああ、ごめんごめん!名乗ってなかったね。俺の名前だよ、宮田圭介(みやたけいすけ)って言うの。だからミヤ」 「ミヤさん!」 嬉しそうに建が言う。 滅多に聞けないプライベートな話が聞けて楽しそうだ。 ところで、と、宮田は立ち上がりキッチンに向かった。 「明日休みなんだろ?もうちょい飲むか?」 ブツブツ言いながらキッチンを漁っている。 伊東はこの日3杯目のワインを空けていた。 樫木はウイスキーのロック2杯、林と青木は最初のカクテル含め2杯、建は3杯。飲み慣れていないくせ、ジュースみたいだとついつい飲みすぎてしまったようで顔は真っ赤だ。 「すみません、明日打ち合わせがあって…」 申し訳なさそうに林が腰を浮かせた。 「ああ、そうか!遅くまですまなかったな」 伊東も席を立とうとしたが、林が軽く手で制した。 「久々にこちらのお店にいらしたみたいだし、皆さんゆっくりしていって下さい…本当、オーナーや店長にはお世話になりました。今まで、本当にありがとうございました。建くん、青木くん、頑張って下さいね」 深々と頭を下げた、その表情は見て取れなかったが、微かに掠れ声だった。 「こちらこそ、厳しい中本当によく続けてくれたね…ありがとう」 「頑張れよ」 オーナー、樫木は短いながら精一杯の気持ちを込めて言葉を贈る。 「寂しいです…!けど、俺も頑張るので林さんも頑張って下さい!」 「短い間でしたが、勉強になりました。ありがとうございました」 半泣きの建、青木は淡々と礼を述べた。 「林君、お疲れ様。 これ、お土産ね。帰って奥さんと一緒に食べて」 「ありがとうございます…!」 にっこり笑って宮田が小さな箱をビニール袋に入れて渡した。 「最後に出そうと思っていたドルチェだよ」 最後、店を出る間際に林はもう一度深々とお辞儀をし、店を後にした。
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