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16
喫茶店のランチタイムが終わり、客足が落ち着いて、店内が静かになった。
小石川先生は今ごろ七歩さんとデートしているだろう。複雑な気持ちだがどうにもできない。黙々と洗い物をこなしていると、店の扉が開く音がした。
「先生!」
店にやってきたのは小石川先生だった。しかし、先生の様子はいつもと違った。
先生はいつも飛び込むように勢いよく店に入ってくるのに、静かに入って来た。
いつもはすぐに何か食べたがるのに、店に入ってきても、入口で突っ立っている。
いつもはとても元気なのに、電池が切れて動かないロボットみたいに俯いていた。帽子と肩に雪をつもらせたまま。
「先生、どうしたの」
僕がカウンターから出て駆け寄ると、
「七歩さんが……来ません……待ち合わせ場所に来ないのです……電話を掛けても出てくれません……」
「ええっ」
僕と空子さんが揃って声をあげた。
「何かあったのかしら、七歩ちゃん」
空子さんが言うと、
「いいえ、私、振られたのです。前回のデートでやらかしましたもの」
「やらかしたって?」
僕が聞くと、
「七歩さんを連れて行ってしまったのです、『はい、はい!』と手を挙げて商品を売る詐欺の……」
「『ハイハイ商法』?」
空子さんが答えた。
「それです……うっかり詐欺の会場に行ってしまいました。あのときは七歩さんは怒ってはいませんでしたが……きっとあれで愛想をつかされ……」
話している途中で、先生の目から盛大に涙が流れた。
「私、振られてしまいました!」
先生はおいおい泣き出した。
「先生、落ち着いて。せっかく来たんだし、ケーキセットでも食べて行ってよ」
僕がなだめると、先生はハンカチを取り出した。さっき僕があげたやつだった。そのハンカチで涙を上品に拭くと、
「ケーキセットをください」
と言って、席に着いた。
「はい」
僕はケーキを用意するためにバックヤードに行った。
先生は残念ながら、七歩さんに振られてしまったようだ。
可哀想な先生。
だけど、別にいいじゃない。僕がいるんだし。
ケーキ食べたらすぐ元気になるよ。
ね、先生……
「涼くん、ご機嫌なのが顔に出てるわよ」
ケーキを作る僕を眺めて、空子さんが言った。
「やだなあ、そんなことないですよ」
僕の髪には、さっき先生がくれた蝶のヘアクリップが、煌めいていた。
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