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美月の母・真弓はのどかな農村地方の出身だった。真弓の父・勇は地域の工場に勤め、母・久子は先祖から受け継いだわずかばかりの田んぼや畑の世話をして生活の足しにしていた。真弓には弟が三人いたのだった。
真弓は高校を卒業すると、すぐに工場で働き始めた。真弓の成績は良く、大学に進学したかったが、父の収入、苦労している母、三人の弟の学資を考えて、就職することを選んだのだった。
その頃の真弓は、黒目がちで大きな目が魅力的なかなり目立つ評判の美人だった。佇まいも品があった。
「小京都」と呼ばれている、その地方最大の都市で伝統菓子店を営んでいた英二郎の母・多喜は、美貌の真弓を気に入り、英二郎に真弓との見合いを強引に勧めた。
真弓は英二郎の温厚な人柄に惹かれた。真弓の上二人の弟は大学を卒業していたし、末の弟の学資もなんとか目処がついたこともあり、真弓は英二郎との結婚を決意したのだった。
英二郎は真面目で温厚な人柄だったが、多喜に頭が上がらず、母親のいいなりだった。多喜は気位ばかり高く頑固で、伝統やしきたりにうるさかった。地方育ちの真弓は、嫌味や皮肉を言われながら商いを手伝い、姑に苦労するようになったのだった。
美月は、そんな両親のもとに生まれた。美月は赤ん坊の頃から、英二郎や多喜にそっくりで、美貌の真弓には似ていなかった。
「真弓さんは店の仕事があるから」
英二郎の結婚と同時に、英二郎夫婦に店を譲った多喜は強引に孫美月の世話をするようになったのだ。体よく多喜に美月を取られてしまった真弓は、いつも不機嫌だった。
美月はいつもそばにいて面倒をみてくれる多喜になつき、実の母である真弓を怖がってなつかなかった。祖母と母の関係を知るわけもない美月は、自分を保護してくれる者の言うことに従うしかなく、実の母とは段々と疎遠になってしまったのだ。
真弓は、ごくたまに里帰りを許されると、実家の母・久子に姑が身勝手なことや頑固でやりにくいことを愚痴っていた。穏やかで優しい久子は、どうしてやることもできず、ただただ娘の話を聞いてやっていた。
だが、その頃はまだ良かったのかも知れない。美月の状況が変わったのは、二年後、弟の要が生まれてからだった。要は真弓そっくりでとても可愛い子どもだった。
今度は、自分の子どもを多喜に取られまいと思ったのだろう、真弓は決して息子を手元から離さず溺愛して育てた。その一方で、自分を怖がる美月には、冷たく当たるようになったのだった。
その頃、商いは順調で、多喜よりも真弓の発言権が大きくなっていったのも一因かもしれない。
記憶の中の母真弓は、いつも不機嫌で、美月を見ると必ず美月を叱った。美月は母が怖くてビクビクしていた。そんな美月を見ると母は余計に苛立って美月を小突いたり、つねったり、叩いたりしたのだ。
美月は、母の不機嫌の原因も、自分にどんな落ち度があるのかもわからず、ただ怯えてオドオドするばかりだった。
美月は母といる時は、他の誰といる時よりも緊張するのだった。真弓はそんな美月を見るとわけもなく苛立ってこう言った。
「あなたはお母さんを怒らせることしかしない!」
多喜も英二郎も、真弓が行き過ぎだと感じているようだったが、真弓の機嫌を損じるよりも、おとなしい美月を我慢させる方が、波風が立たないと思っていたようだった。
英二郎は妻と姑がいさかっていた時にも、妻と娘の間がギクシャクしていることに気づいた時も、その現実から逃げたとも言える。
「卵焼き事件」はこの頃の美月の苦悩を象徴する出来事だ。幼い頃、美月も要も卵焼きが好物だった。真弓が甘やかしているので要は偏食が激しく、野菜のおかずを食べなかったのだ。
一方で、美月が好き嫌いをすると真弓が激怒するので、美月は仕方なく、嫌いな野菜のおかずを先に食べ、最後の楽しみに卵焼きを残していた。
すると自分の分を真っ先に食べてしまった要が、美月の分も取って食べてしまったのだ。その時、真弓はこう言った。
「いつまでもグズグズして。食べない方が悪いのよ!」
「でもお母さん……」
「なに、要が悪いっていうの?」
その冷たい口調に、美月は珍しく泣いた。何を言っても、愛してはくれない、味方になってくれないと思ったのだ。
母の真弓は、そんな美月を見て忌々しそうに顔をしかめた。自分が不公平だと言うことはわかっているのだろう。だが、美月をかばう気持ちはさらさらなかったのだ。
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