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美月が、「母、危篤」の知らせを受けたのは、金木犀が香る秋の午後だった。母の真弓は腸閉塞で入院し、誤嚥性肺炎を併発したのだった。 美月と父の英二郎が病室に到着すると、真弓の病室には秋の日が差し込んでいて、母が「危篤」でなければ、うららかな陽気だった。 医師は難しい表情をして、看護師は緊張していた。 真弓は若い頃、腸捻転の手術をした関係から腸閉塞を起こしやすくなっていたのだ。さらにここ数年はパーキンソン病を患っていた。入退院を繰り返し、次第に弱っていく真弓を見て「もう長くないかも知れない」と覚悟はしていたが、危篤の知らせを受けるとは思っていなかった。 母は顔をゆがめて喘いでいた。心電図が不規則に動いていて、母がまだ生きていることを知らせてくれた。酸素マスクをして苦しそうにしているが、母は懸命に生きようとしていた。 看護師に指示をし、真弓の処置をしていた医師が真弓のまぶたを広げて、ライトを当てた。母の瞳孔が収縮しないことに美月は気づいた。 真弓の枕元に置かれた心電図が直線になり、数字がゼロになったのを美月はぼんやり見ていた。 「心肺停止です。五分置かせてもらいます」 静かな声で医師が言った。憎らしいほど天気はよく、母のベッドは明るかった。 五分がひどく長く感じられた。 明るい日差しの中で、さっきまでの苦しそうな表情が嘘のように真弓は穏やかな顔になっていた。色白できめ細かな肌が美しかった。 「午後三時五分、ご臨終です」 医師が真弓の臨終を告げると、英二郎は人目も憚らず大声で泣いた。 その時、アルバイト先のジャンパーを着たままの弟・要が駆けつけてきた。母の死に目にあえなかった要は、母の臨終を知ると英二郎と抱き合って号泣した。抱き合って号泣する二人を見ると、美月はすうっと気持ちが引いて行くのを感じた。 美月は、医師や看護師に丁重に礼を述べ、看護師からその後すべきことの説明を一人で聞いた。ひどく冷静な自分が、空恐ろしく感じた。母親が死んだというのに……。 「お嬢さんが湯灌されますか?もしされるのでしたら、看護師もお手伝いしますから。看護師の方でさせて頂きましょうか?」と看護師が美月に言った。 美月は「遺体」に触れるのに抵抗があり、湯灌を看護師に頼もうか迷ったが、「母の最後なのだから」と思い、湯灌は美月が行うことにした。 真弓はさっきまでの苦悶が嘘のように安らかで、眠っているようだった。美月は看護師に手伝ってもらいながら真弓の湯灌を行った。真弓の痩せ細った手を拭きながら、 「昔、よくこの手で叩かれたな……」と苦い記憶が蘇った。ご飯粒をひとつ残した時、玄関を一歩だけ裸足で歩いた時、靴紐を上手に結べなかった時……、理由は何でも良かった。母の真弓には、八つ当たりの対象が必要だったのだ。 真弓の体を清めると、美月は真弓に死化粧を施した。ファンデーションを塗り、眉を描き、紅をさすと、「美月、お父さんと要はなぜ泣いているの?」と言って起き出すのではないかと思えるほど、母はいきいきした表情になった。病気のためにすっかり痩せてしまっていたが、真弓は十分に美しかった。 湯灌を終えると、病院が手配してくれたワゴン車で真弓を自宅に連れて帰った。英二郎は運転手の目もはばからず、肩を震わせて泣いていた。後部席で要は、時々、しゃくりあげながら涙を流していた。 英二郎と要とは対照的に、美月は一粒の涙も見せずに、淡々と葬儀の段取りを考えていた。
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