僕と十三人の恋人たち

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 危険はない筈の仕事だった。  少なくとも、彼女はそう思っていた。  依頼人は若い女性。  好きな女性アイドルがいて、一度でいいからその人と友達のような一日を過ごすのが夢だった。けれどそれは叶わないから、彼女にそのアイドルを演じて欲しいと、そういう依頼だった。  彼女は依頼を受けてから仕事当日までの二週間、そのアイドルが出演したバラエティや歌番組を何度も観て、充分に事前準備をした。彼女とそのアイドルは顔の造作も近い系統だったし、役作りもさほど難しくはなかった。  だが、依頼人は想像以上にシビアだった。    「それはメディア向けの顔でしょ。ライブやトークショーで会う生のあの子はそんなじゃない。もっと…」  彼女の演技に何度も駄目出しをしてきた。  だが彼女はもちろん、そのアイドルの生身の姿など知らない。  違うと言われても、どうすればいいのかわからない。ただ彼女が事前に調べた《メディア向け》のそのアイドルを演じることしか出来ない。  今までの客は、客自身も、ある程度演技をしてくれていた。  彼女が熱心に演じるその人と、今一緒にいるのだと信じて、応えてくれていた。  それは当然と言えば当然だ。  依頼主だって、彼女がただの演技者である事は充分承知している。  それでも、嘘でも作りごとでもいい、少しの間だけ、その人といる夢をみたい。──それが依頼人の望みなのだから、彼女をその人だと思い込まねば意味がない。  今回のように、(はな)から彼女をただの別人として扱い、粗探しに始終するような客はいなかった。  依頼人が苛立ちを募らせるにつれ、彼女の焦りも大きくなっていった。  事前に研究したそのアイドルの仕草や表情、リアクション。それを参考にしても意味がない。  どうすれば、どうすれば──  「もう。全然違うって言ってるでしょ⁈」    とうとう苛立ちを爆発させた依頼人が、彼女をどんと突き飛ばした。  それも、歩道橋の階段の半ばを上っている時に。  突然力一杯押された彼女は階段を踏み外して、そのまま下まで滑り落ちた。  
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