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咄嗟に手摺を掴んで何とか大怪我は防いだものの、不自然にかかった力で手首を捻った。段差に打ち付けた膝も痛む。
心臓が荒く波打つ。
恐ろしかった。何が起きたのか瞬時に理解出来ない。自分の身体に異常がないか確認するので精一杯だった。
客の女性は悠然と近付いて、蹲る彼女の前に屈んで座る。ふと顔を上げた彼女に、薄い酷薄な笑みを向けた。
「下手くそ。二度とあの子の猿真似なんか見せるな」
そう言って握った拳を振り上げ、力一杯彼女の頬を打った。
□□□□□
通報するべきだった、と言った僕に、彼女は黙って首を振った。
「どうして?」
「大事にしたくない」
「充分大事だよ。階段から突き落とされるなんて、怪我だけじゃ済まない可能性だってあった」
「だからそれは私の──」
「演技力が足りなかったって?問題はそこじゃないだろ。仕事ぶりが気に食わないって理由で、暴力を振るう方がおかしいんだ。君だって、もう一度その客から仕事の依頼があっても受けようとは思わないだろ?」
彼女はぐっと言葉に詰まって、俯く。
どこか不安気にうなだれる彼女に、僕の気持ちは逆に大きくなる。
「そんな危ない仕事はもうやめなよ」
そう、前から思っていた。
目立ちたくないとは言っても、小さな劇団に所属するくらいならそこまで衆目を集める事はない筈だ。ましてや安定した生活を送りたいというのなら、こんな事件が起きた仕事からは遠ざかった方がいい。
「演技の仕事なら他にも──」
けれど、その言葉を発した途端に、彼女は燃えるような目で僕を睨んだ。
「やめない。絶対にやめない」
その目に湛える意思の強さと語気の荒さに、僕は怯んだ。
怯んだと同時に、憤りが湧いてきた。今までの人生で感じた事のないような、激しい感情だった。
「何でだよ。今回の事でわかっただろ。自分のしてる事がリスクの高い事だって。相手が男だったら、もっと酷いことになってたかもしれない。それでも君は──」
「やめない」
僕の言葉を遮って、きっぱりと彼女は告げた。
「…あなたに何がわかるの。私にはこれしかないの。これしか、出来ない……」
言葉の最後が、細く弱って消える。
彼女の目からぽろりと涙がこぼれた。
そのたった一滴で、僕の中の憤りはあっという間に霧散する。
「……どうしてそんな頑なに、わざわざ危険な方法を選ぶの」
僕は腕を伸ばして、親指でそっと彼女の涙を拭った。
頬に触れると、彼女はびくっと小さく体を揺らす。
「話して」
長い沈黙の後、彼女はゆっくりと口を開いた。
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