僕と十三人の恋人たち

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 夜の街を自転車で走った。  満月にほど近い大きな月が、僕の行く先を照らす。  星が散りばめられた夜空に浮かぶ細い雲が、するすると流れて僕の視界から消えていく。    十日後の彼女の仕事は、明日に迫っていた。  寝る間を惜しんで準備をしたけれど、もう夜の八時過ぎ。  間に合うのかはわからない。  僕が用意したものが、彼女を満足させられるのかもわからない。  そもそも、彼女にとって僕がどういう存在なのかもわからない。口うるさくて差し出がましい同僚だと思われているかもしれない。    それでも、彼女に会いたかった。  伝えなければと思った。  必死にペダルを踏んで、一駅隣の彼女のアパートに向かった。  見慣れた二階建てのアパートに着くなり、自転車を放り出して階段を駆け上がる。ちょうど真ん中にある部屋のインターフォンを押す。勢い余って二回続けて鳴らしてしまった。薄いドアの向こうから、パタパタと近付いてくる足音。かちゃんと小さな音を立ててドアに隙間が生まれ、彼女が顔を出す。  どこか不安気な顔で僕を見上げる彼女の頬には、まだうっすらと青痣の跡が残っていた。  それを見た途端、僕にも彼女の不安が伝染する。全身からどっと汗が噴き出した。  招かれるまま彼女の部屋に入る。  僕は玄関に立ち尽くしたまま、息を整えた。  それを渡すには、勇気がいった。  怖気づく気持ちを無理矢理に胸の底に押し込めて、僕は背中のリュックサックから、紙の束を取り出した。  「これを君に読んで欲しい」  「何…?」  彼女は僕が差し出したそれを受け取ると、戸惑ったように僕とその紙の束を見比べた。  綴じ紐で纏められた、A4サイズのプリント用紙。端にはページ数が入っている。最後の一枚には、104という数字が印刷されていた。  彼女の指が控えめにページを捲る。  そこに印刷された文字を追って、彼女は少しずつ目を(みひら)いていった。  「これ……小説?あなたが書いたの?」  「少し違う。それは、これから君が演じる役の脚本だ」  そんなものを書いたのは、生まれて初めてだった。  「僕が、君の最後の客になる」  
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