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記憶をすぐ失う人なのかなあ」 「そ、そうかもしれません」 「ああ?」  どすの聞いた声で、脅される。柴咲玲夏のお弁当は黒焦げの卵焼きが入っていた。まずそう。それをぶすぶす指しながら睨まれる。 「今、不味そうって思ったでしょう」 「おもってません」 「いいの。マジ不味いから。それで、こちとらいつも空腹なわけ。甘いものは別腹ってよく言うでしょう。私、好物なのがあってそれが『恋バナ』ってわけ」 「あの~、もう全てわかっている前提で話していますが、あなた様は言葉を食べられる体質なんですか」 「そうだけど」 「ほほう!」 ほほう、と言いながら信じていないのがバレたようで柴咲玲夏は舌打ちした。そして、箸をおいて咳払いをする。 「きのう箪笥の角で親指をぶつけてしまったの!」  すると、柴咲玲夏の口から、【きのうたんすのかどでおやゆびをぶつけてしまったの】がするすると生まれた。二人の間に生まれた言葉を彼女は摘んでみせた。そして、あろうことか、水上の口に押し込んだ。 「うっ、ぐっ……!?」 「どうだ、うまいか」  手が口にあたってしまったドキドキと、それと同時に味はしないかれど何とも嫌な気持ちになった。痛みが一瞬だけ、伝わってきた。ちょうど、箪笥の角で親指をぶつけたような。 「痛い話って痛いよね。想像するでしょ。聞いた瞬間、みんな実は共有しているの。だから痛い自慢するやつとは友達にならならい方がいいよ。しんどいから」 「はあ……」  それは何となくわかる。ネットでも嫌なニュースで溢れていてそれを読んだときに胸に嫌なものが広がっていく。友達からの心無い言葉がずっと何日も蝕むことも。それは食あたりのように胃をキリキリとずっと悩ませる。 「最初、言葉を食べないようにしていたし、嫌な言葉を浴びせられたら息を止めた。それでも耳から入ってくるから、仕方ないときは仕方ないのだけど。でも、美味しい話ってないかなってずっと探していたら、見つけたの。それが恋バナ」 「そんな美味い話があるわけ」 「【昨日、寝ながらスマホを眺めていたら手がゆるんで顔面に】」 「わー、すいません話の腰を折りすぎちゃいました! 続けてくださいいいい」 「わかればよろしい。で、家のご飯は不味い。育ち盛りの私が生き残るには学校で恋バナを摂取するしかないと行きついた。けれど、私はこう見えて美人でしょう?」 「自分で言う人なんですね」 「【ムカデが】」 「いや最早、単語でしかないのだけど?!」  柴咲玲夏は笑って【ム】を放り投げた。単語だけでも使えるらしい。楽しそうだけど水上は全く楽しくない。 「美人な私が『恋バナしよ☆』って近づいても女子は嫌味かよって言って私を避けるの。孤立はしたくないから猫かぶってるー」  言いながら彼女は焼け焦げたピーマンを口にした。 「でも、柴咲さんなら告白とかされるでしょ。それって誰かの恋バナよりも自分に向けたものだから、威力あるんじゃないの」 「あんたね、告白を甘くみすぎ。私に告白してくる男子なんて大抵、顔だけなんだから。顔のいい彼女を持ちたいというエゴ、独占欲、支配したいという下心……もう、なんかそういうゲテモノ料理なわけ。食べられたものじゃないんだから」  うげえと不味そうな顔をする柴咲玲夏。お弁当は話しながらも素早く食べていく。多分、あまり噛んでいないのだろうな、と水上は思った。 「とにかく。私は今、甘いものに飢えている! 手っ取り早くときめきたい! 爽やかでザ青春っていう感じの恋をしている女の子を連れてこい!」  前のめりで訴えられ身をのけぞらせた。 「ぼ、僕は普段、女子との会話は皆無だし、それに女子と話してキモイとか言われる可能性があって、そのあたりのリスクヘッジと言いますか、仮に連れて来られたとして、わたくしめに何等かの見返りとかあったり、なかったり……?」  水上は内心、よくぞ言ったと自分を褒めた。一度、カツアゲを許したら次からもせびってくる可能性があることは、よくわかっている。この手の女子も最初は「お願い」だったのがいつの間にか「当たり前」になることもあるのだ。そうしたら学園生活は奴隷生活に様変わり。同じ漫研部の大竹が聞いたら「あの柴咲玲夏の奴隷! いいじゃないか、羨ましいいい!」とか何とか鼻の穴を膨らませることだろう。そんないいものじゃない。ここ数回の会話で彼女が特殊能力の持ち主で、サイコパスな一面を持ち合わせていることはよくわかった。関わらないのが一番である。 「ああ、確かにこの話はフェアじゃないわね。なにせあんたは私の能力が『視えた』だけなんだもの」 「あの、その視える人って時々現れるものなんですか」 「いいえ。あなたが初めてよ。どうしてかな……霊感もないのよね?」 「ですね」 「それは私の方で調べておく。それで、褒美の件よね」 「褒美、まさに下僕……」  水上の呟きを無視して、彼女はひらめいたという顔をしてから咳払いをした。そしてすっと息を吸い込む。大きな黒い瞳がまっすぐに彼を捉える。 「【水上幸助はかっこいい】」 「かっ、こっ、ええっ?!」  照れていると、柴咲玲夏の口から【みずかみこうすけはかっこいい】がするりと出てきた。  彼女は空中に漂うそれを眺めて、「息を吸え!」と言った。思わず「はいっ!」と言われた通りに大きく息を吸った。するすると【みずかみこうすけ—】まで一気にところてんのように吸い込まれていった。ちゅるんと得体のしれないものを飲み込んでしまった。  吐き出そうにも、何も感触がなかった。 「どう? おいしい?」 「なんだか、落雁の味がしました……」 「形だけの褒美だったからかな。私も心からあなたのことをかっこいいと思えるように精進するわ」 「ってことは、まさに言葉だけ吐いたものなんすね」 「でも、あなたは、【水上幸助はかっこいい】という意味がある言霊を食べた。これには多大な効力があるのよ。嘘だとしても、毎日受け取っていくと漢方のようにじわじわ効いてくるの」 「インチキっぽいなあ」 「なに言ってんの! ありがたく頂きなさいよ。なんせ私がこの美貌を手に入れたのも、鏡に向かって毎日【柴咲玲夏は今日もかわいい】って言い続けたからなのよ」 「うわ」  水上は思った。最近はやりの意識高い系がやっている「引き寄せの法則」だ。朝に、鏡に向かって前向きな言葉を言って、その通りの現実を引き寄せるってやつ。脳がその情報だけを集めるとか何とか。これはおまじないでも、なんでもなく言葉によって脳の思考をコントロールする立派な科学の分野だ——そう言おうと思ったが、柴咲玲夏が文句を言わずに「ありがとう」と言葉にし、受け取る儀式をするとこの術は完成すると胸をはった。  仕方なく礼を言う。ちょっと気恥ずかしい。 「……あ、ありがとうございます」 「よろしい! 契約完了。次はあなたが私の願いを叶えてね☆」  みんなに見せている営業スマイルを見せて笑う彼女。なるほど、好きになる男子があとを絶たないのが理解できた。  これは騙されるな……。 「いま、よからぬこと考えなかったあ?」 「いえいえ、滅相もございません! あ、いっけなーい、HRの時間に間に合わなーい」 「ほんとうだ、昼休み終わるわね。じゃ、頼むわね。連れてきてね! そうだ。連絡先交換しなくちゃ」  携帯を取り出す柴咲玲夏。水上は久しぶりに携帯に連絡先を追加するため、手間取ってしまい彼女をイラつかせた。  昼休み、終了の予冷が鳴り響いた。 × × ×  学校帰り。あっという間に時間が過ぎ去って午後からの授業が頭に入らなかった。  水上幸助はまだ、話せる同じクラスの女子「吉住千秋」にかいつまんで相談をした。大きな眼鏡と天パの髪がトレードマーク。大き目に買った制服のスカートは短くしておらず、模範的な生徒である。 歩きながら、柴咲玲夏が恋バナを好きであること、自分では声かけにくいため手伝ってほしいと頼まれたことを説明する。 略すと今から青春が始まりそうな勢いである。「学校一の美少女が俺に恋の話をしたがるんだが!?」みたいな。 吉住は、クラスでも話せる友達が少ない、同じボッチ仲間だった。漫画研究部に所属している。吉住は、絵が本当にうまい。だが、個性的すぎてよく浮いている。 「水上は、そのおなごのことが気になって仕方ないのかな??」 「いや、まあ美人は美人だよな。近くでみたらバチくそ美少女」 「ほーん。水上が女子の話するの珍しいじゃん。所詮、お前も男子だよなア」 「お前はどこのおばさんだっての。ともかく、満足するまでは付き合うけど、僕がお前意外の女子と意思疎通をするのが難しすぎる……」 「わしは女子やないんかーい」  時々、変な突っ込みをしてくるのが吉住。水上は無視をする。頭が痛い。 「お前はいいよな、気楽で……ところでさ、お前の周りに恋バナするやついる?」  試しに聞いてみた。吉住は頭をかいた。 「あのさあ、それってワイでもいいわけ?」 「お前?! 漫画とか二次元の話しても柴咲玲夏は紙の味がするとかいってバレるぞ」 「紙の味ってどういう意味よ」 「いや、あの~柴咲さんは何ていうかリアルな話が好きというか何というか」 「大丈夫。その辺はちゃんと現実に存在している人の話をするから。お姫様の奴隷から解放してやる」 「奴隷解放ねえ。てか、好きな人いるの? 知らなかったな、誰?」 「……それは……ヒミツで!」 「あ、おい!」  急に吉住はダッシュをして走り去ってしまった。 どうせ、アニメの舞台俳優とか戦隊ものの俳優だろう。実在しているが、俗にいう2.5次元アイドルというものだ。柴咲玲夏にちょっと怒られそうな気がするが国語の授業のとき、先生が朗読する百人一首、恋の歌を食べていた。今思い出しても怖いが、あれがOKなら今回の吉住の話もOKだろう。 水上は一人確保できたことに安心し、無理やりそう自分を納得させたのだった。携帯の画面を何となく眺める。真っ黒になった液晶画面に自分の顔が映る。 【水上幸助はかっこいい】  はっきり言葉にされた柴咲玲夏の声がよみがえる。二人きりの家庭科室。その言葉が空気を震わせ、僕の耳に届いた。届いただけではなく、それを食べさせられた。自分の中に、それが宿っていると思うと、確かにちょっと嬉しかった。  明日は早起きして髪をちゃんと整えてから学校へ行こうと思い早めに眠ることにした。
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