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4  水上幸助は追いかけるかどうか迷っていた。柴咲玲夏の強い否定も驚いたし、何より【かほ】という名がひっかかる。幸助の中でいくつかの単語が渦巻いていた。 【山下】【かほ】【幼稚園の頃以来友達がいない】【山下玲夏】。 同じ、苗字ということは、別れた父と一緒に出て行った妹か姉、または父親の再婚相手の子供か。でもあの険悪な様子だと、後者か? モックの前で、うろうろしていると、「水上じゃん」と声をかけられた。吉住千秋だ。 「水上、ちょうどよかった。この前言ってた漫画持ってきたから——」 「なあ、ちょっと質問なんだが」  吉住に声を遮り、水上幸助は重たい声で訊ねた。 「山下果歩ってお前、知ってる?」 「知らない、だれそれ」  じっと、吉住を見る。本当に知らないといった表情をしている。だよな、と言って嘆息して帰り支度に戻る。 「ねえ、まだ柴咲玲夏に振り回されてるの? あいつ、おかしいって言ってるやついるよ」 「へえ」  柴咲玲夏を嫌い始めている奴がいるのは知っている。恋バナをしたら叶うというジンクスを信じ切っていたのに、見事振られてしまった子。柴咲玲夏は神でも仏でもないのだから当たり前のことなのに、逆恨みもいいところだ。 「他校まで、噂が広まっててさあ。関わらない方がいいよ。漫画の主人公みたいにきどってる場合じゃないっていうか、しょせん、わたしらはモブなんだからさあ」 「もしかしてだけど、お前〇〇商業高校に友達とかいるの」 「ああ、中学校の頃の漫画好きな子ならいるよ。それがどうかしたの」 「そいつに柴咲玲夏の悪口言ったか」 「……知らないけど」  急に、声が小さくなる吉住千秋。水上幸助は言霊が視える彼女が、悪口を恐れていたことがようやくわかった。目立つと嫉妬の対象となる。そして、悪口は流動する。内内の悪口だったことが、流れ流れて山下果歩に辿り着いたのだ。  柴咲玲夏が吉住千秋を警戒しておけ、といったのはこういうことだ。柴咲玲夏が何等かのトラウマと対峙することになった発端は、自分にもあるのかもしれない。  全てが面倒くさいと思うと同時に、どうでもいいかなと気が遠くなりそうになった。いつもの自分なら完全に逃げている。 「水上——」 「吉住。柴咲玲夏はモブから華麗に転身した主人公らしいぞ」 「え、そうなの? あいつが?」 「僕は、教室の隅で呼吸さえできていればいいと思っていた。学校生活最初が肝心だけど、僕は髪の毛が明るいだけで躓いた。三年間、静かに生きていくつもりだったんだ」 「なに、走馬灯? この話の先は、柴咲玲夏のこと好きだとかいうつもり?」 「……結論は、そう。僕は柴咲玲夏を好きになってしまった」  道行く人々の雑踏が遠く聞こえる。吉住が息をのむのが聞こえるくらいに。 「柴咲さんは、ああ見えてめちゃくちゃ不器用なんだよ。何でも可能にする魔法使いみたいだけど、実際はそうじゃないんだ」 「あたしは柴咲玲夏のそんな一面知らない、興味ない。自分は知っているんだ、みんなの知らない一面を知っていることで得られる優越感ってやつ? キモイんだけど!」  吉住が声を荒げた。通行人がちら、と二人を見た気がした。今での僕なら「別のところで話そう」と言って吉住を宥める方向にいくはずだ。  でも、今ことのときは水上幸助の中で何かが違った。周囲の声を気にしなくて、これだけは言いたいが勝った。 「吉住がそう思っていても別に構わない。世界中が柴咲玲夏を嫌っても、逆に世界中が欲しても、僕が彼女を好きなのは変わらない」 「……は? まるで主人公みたいなこと言って……」 「吉住は、これからもずっと僕の友達でいてくれるだろ。だったら、これ以上僕が好きな人のこと何も言わないでほしい」  しん、と二人の間に沈黙がおりた。沈黙を破ったのは携帯のバイブの音だった。水上幸助が電話に出る。知らない番号だ。出ると、相手は浦部の彼氏、森だった。 『浦部から連絡があった、〇〇商業高校の制服のやつらと柴咲玲夏が連れ立って歩いていったのを見たらしい。何だか声をかけづらい雰囲気だったから、浦部が心配している。水上見に行ってあげてくれないか。〇〇駅のコンビニ前だ』 「わかった。教えてくれてありがとう、森」  吉住が何か言いかけたが、水上幸助はダッシュでコンビニ前へ向かった。吉住千秋が水上幸助の背中に向かって「ごめんね」と言ったことも聞こえなかった。 × × × 山下果歩に着いていくと、コンビニ前に柄の悪そうなやつらがそこに居座っていた。山下果歩は、素行の悪い奴らと付き合っているのだろうか。 「私、柴咲玲夏」  愛想なく、自己紹介をして声をかける。三人ほどいた男子生徒らが威圧的に睨んでくる。 「お前が、果歩を呪っているのか」 「なにいってんの」  変形させた制服をだぼつかせ、頭の側面を刈り上げている男子生徒の口から「呪い」という言葉が出るとは思ってもみなかった。コンビニから派手なギャルが出てきた。睨まれる。 「果歩は、お前の夢ばかりみてんだってさ。ようやく見つけたといって嬉しがっていたよ。柴咲玲夏」 「あら、私もよ。ずっと会いたかった」  今まで、猫をかぶって生きてきた。それが正解だと思っていたけれど抑圧していた何かが誰かに向かっていたらしい。そうか、と納得もできる。ずっと、両親を不幸にさせたのは誰かと悩んできた。柴咲玲夏は自分だと考えてきたから自分を呪ってきた。けれど、ある日から自分を呪うのをやめた。幼稚園のときから、小さな太陽をもらったときから。私の内側は、私を傷つけなくなった。けれど、どうして両親が離れて暮らすのかという疑問と、どうして私だけという怒りは消えなかった。  こちらこそ、ようやく怒りの対象と対面できる。もう逃げるのをやめる。 「着いて来い」  山下果歩は先頭に、柴咲玲夏は周りを囲われて連れていかれた。楽しみ半分と恐怖半分。内側からドロドロとした感情が今にも飛び出しそうだった。吐き出したい、何もかも。  柴咲玲夏は時折、気分が悪そうに口元を抑えた。水以外何も口にしていない。腹はどうしてか減っていなかった。腹は大きく膨らみ、今にも吐いてしまいたい気分だった。  連れ立って歩いてきたのは、表通りから外れビルに囲まれた小さな公園。夕方は人通りが少ない。夕暮れになり、蛍光灯が点滅しだした。黒とオレンジに顔が染まり、いよいよ闇が深くなりそうだ、と柴咲玲夏はぼんやり考えていた。 ギャルが心配そうに山下果歩の顔を窺う。 「果歩、大丈夫?」 「大丈夫。ごめん、嬉しくてつい笑っちゃう。みんな、私とこの子だけにしてくれないかな」 「すぐに呼んでね」 「わかった」  仲間たちは遠くから眺めているだけのようだ。とはいえ、こういうのは正々堂々と二人だけで対峙すべきだと思う。ところが、先ほどの態度とは打って変わって果歩は笑顔になった。 「怖かったでしょ、ごめんね」  山下果歩は殊勝な態度で謝った。余裕がある。喧嘩はふっかけられているというのに、誤解だというのだろうか。 「……ううん。私たち親戚みたいなもんじゃん。本人から友達になろうって言ってほしかったなあ」  暗に同じ父親だということを先に告げる。すると山下果歩は手を叩いた。 「親戚、ウケる。だよね、あたしたち親戚みたいだよね。【同じお父さん】でも、血もつながってないから、どうかな。あんたのお父さん、あたし嫌いだし」 「返品不可だから」 「返品したくても、あんたのお父さん母さんのこと大好きみたいだし、あたしと仲良くなりたくて、今度ディズニーランド連れていくとかはりきってる」 「何それ、家族自慢?」 「うん、自慢の家族だよ」  笑顔になる山下果歩。柴咲玲夏の中で、ドロドロとした闇が腹の底から徐々にせりあがってくるのを感じた。まるで、別の生き物のように蠢き、解放を望んでいる。 「お前の家族自慢、聞きたくないんだけど」  猫を被るのをやめて、本音がこぼれ落ちてしまう。愛想も必要ない相手だと判断した。水上幸助は気を許していたが、彼女に対しては警鐘がずっと鳴り響いている。 「聞きたくないなら、あたしの夢に出てくるな。もううんざりなんだよ……!」  突如、山下果歩がかなきり声をあげた。空気が張り詰める。遠くで見ている山下果歩の仲間も遠くで静観していたが、一瞬、ざわめいた。 「は? あたしの夢?」 「そうだよっ……最初は誰かわからなかった。数日ごとにはっきりシルエットが見えてきたんだよ、お前が毎晩、あたしの首をしめに来るんだ。そんなに、父親が恋しいか! 逆恨みすんな!!」 「逆恨みはそっちだ。私はあんたの夢にまで関与しな——」  柴咲玲夏は途中でセリフがとまる。他人の夢に関与。そこまでの力は今までなかった。誰とも接触しないようにしていたし、恋バナを食べていただけ。  柴咲玲夏の中で、断片的な場面が繋がっていく。国語の授業で朗読されるうわべだけの恋の歌を食べていた。それを水上幸助に見られたのが最初。  秘密を共有する人ができたら、もっと生身の言霊が食べたい、甘い恋バナがしたいという願望が生まれた。そして、彼を利用するうちに輪が広がっていった。水上幸助はいいやつで、話していて楽しかったし、言霊が視えることで、信頼できた。  欲を出してはいけなかったのかもしれない。もっと幸せになりたい。もっと言霊が欲しい、はもっと愛がほしい。でも現状は違う。お母さんはいつも寂しそうで、お父さんはいないまま。どうして、そうなったの。どうして孤独なの。もっと愛してほしかったのに、三人で笑いあっていた過去もあったのに。私が悪くないとしたら、誰のせいなの?  柴咲玲夏は答えに辿り着いて笑いがこみ上げてきた。悪いのはやっぱり自分のせいだ。 「最近、ようやく離婚したのは自分のせいじゃないって許せた。でも、それじゃあ孤独なのは誰のせい? って考えちゃった……山下果歩、ごめんね。全部、私が悪いみたい」  柴咲玲夏の様子がおかしいことに、山下果歩は気づいた。彼女は震えだしずっと小刻みに笑い始めた。タガが外れたみたいに。 「な、なんなのよっ、みんな来て!」  山下果歩が声をかけると、仲間が三人駆け寄ってきた。二人の男子生徒は柴咲玲夏の両肩を掴んで拘束する。ギャルの女生徒が山下果歩に言った。 「果歩、ずっと眠れないって言っていたし、こいつ殴っておこうよ」 「そうだぜ、俺たちが押さえておくから」 「嫌っ、夢のときみたいに、笑ってる、怖いっ」 「でも――」  と、柴咲玲夏は体の大きな男性生徒二人を拘束されているというのに、投げ飛ばした。傍目からは二人が自ら転んだようにしか見えなかったはずだ。山下果歩の友人の女性生徒も空中を舞い、地面に叩きつけられた。三人はそのまま動かなくなる。 【山下果歩、不幸になれ】  柴咲玲夏の体から蠢く闇が溢れ出てくる。夕闇の中により一層深い闇が彼女の口から飛び出した。このとき山下果歩にも視えた。  言葉が形どり、自分の周りを取り囲む。そして、口に入ってこようとした。黒い文字が意思を持ったかのように、山下果歩に襲いかかる。 「いや……来ないで……!」  山下果歩は走って逃げた。まるで悪夢が現実になったかのように感じていた。会うのは怖かった。だから、友達に行ってもらったのに。男子生徒といるときは普通だったと聞いていたし、噂では恋バナが好きな女子としか聞いていなかった。  人を呪っておきながら自分だけ楽しそうだなんて許せない。そう思っていたのに。 【〇〇さんってマジうざいよねあいつなんて〇〇しちゃえばいいのに〇〇は自己中で〇〇はかわいそう、死ねばいいのに〇〇だって頑張ったのに〇〇は嫉妬ばかりして無視すんじゃねえよ〇〇殺すぞ〇〇、気持ち悪い〇〇、笑うなよ、おい〇〇友達いないんじゃないの】  柴咲玲夏の中で取り込んでしまってから沈殿した毒。毒と自分の感情がない混ぜなり、呪詛の言葉が次から次へと溢れ出てくる。柴咲玲夏はそれを他人事のように聞いていた。止めようとするのに、体が言うことを聞かない。  山下果歩が悲鳴をあげて涙目で助けてと訴えているのに、もうやめたいと思っているのに、吐く物が止まらない。言葉は彼女の体を蝕み、傷つけはじめた。  鋭利な刃物のようになって切り刻んでいく。血が飛び散り、柴咲玲夏の体にも付着していく。これ以上言ってはいけない。口を閉ざしたい。口を閉ざして。  誰か、お願い助けて——。 「柴咲玲夏あああああ!!」  声がする方に気を取られた。振り向こうとして、口に何か押し付けられる。 「うっ……ぐっ……!!」  紙の塊だった。吐き出そうにも、口いっぱいになったそれは、すぐには取り出せない。言霊が飛び出ることができずに、漏れそうになるが、一瞬、正気に戻る。  涙目で水上幸助を見る。彼は、黄昏どきとあって逆光で顔が見えづらい。地面に転がる。息がしづらくて苦しいと訴えると彼は、すぐに外してくれた。 「これ、恋文なので捨てないように」 「――え」  水上幸助の顔が間近にあった。赤くなっているのが暗くてもわかった。違った意味で息がしづらく、お互いの呼吸が肌にあたった。熱が伝わってくる。すぐに水上幸助は立ち上がらせてくれ、まっすぐに柴咲玲夏の目を見た。夕日に照らされて彼の目が輝いている。 「ひとりじゃないから。笑って」 「こんなときに、笑えない」  柴咲玲夏は水上幸助のくせにやけに真面目な顔をしていると思った。もしかしたら、今溢れていた言霊を彼は吸ってしまったのかもしれない。毒性の強い言霊たち。それを言おうとしたが、彼の方が先に笑った。 「偉そうに笑っている君が好き」 「え、偉そうには余計よ!」  気持ち悪さも抜けてしまった。恥ずかしさと顔の熱が正気に戻らせてくれた。山下果歩は呆気に取られていた。水上幸助は彼女に上着をかけてやり、自分の親に連絡してほしいと告げる。ようやく安心できた山下果歩は思い切り叫んだ。 「ば、化け物!」  震えながら山下果歩が柴咲玲夏をにらみつける。柴咲玲夏は腰を抜かして立ち上がれない彼女の手をとった。 「ひっ」 「ごめん、殴っていいから」 「な、殴っても、悪夢に現れるでしょ!」 「……保障はできない。でも、そうしたら現実の私を殴って。いくらでも殴っていい。ごめんしか言えない」 「なによお、それ……」  やがて、彼女の両親が公園にやってきた。柴咲玲夏は久しぶりに会う父の姿に驚いた。父は写真のときより少し痩せていたし、当たり前だが若くなかった。 「玲夏……?」  山下果歩の母親は警察に連絡してくれと言っている。刃物で切り付けられたとか言われるかもしれない。水上幸助はもっと早く来ればよかったと悔やんだ。様々な喧噪の中、久しぶりに親子が会話をしている。その様子はぎこちないが見守っていたい。 「お父さん……」 「玲夏は、大きくなったな。元気にしていたか」  パアと子供のような笑顔になる。父はこういう人なのだ。無邪気で子供っぽい。母はそこが嫌いだと柴咲玲夏に愚痴をこぼしていたこともあった。 「そんなに……元気じゃないよ」 「そ、そうだよな。もっと違う形で会いたかった……お母さんの様子は。聞きたいこと、たくさんあるんだ」 「…………」 「果歩に会っているということは……大人だから知ったんだな」 「……うん」  本当は、勝手だと思った。この人は理解を求めようとしている。それでも柴咲玲夏はこの父が好きだった。 「そのことで喧嘩したのか」 「ちょっと違うけど……ごめんね」 「お父さんもごめん。玲夏のことはずっと大好きだから」  柴咲玲夏は表面上でも、その言葉がきけて良かったと思った。言霊を吸うと、静かに心を照らし出した。闇の中にほんのり、灯った言霊。まるであのときの小さな太陽のように。  警察のサイレンの音が鳴り響き、水上幸助と柴咲果歩は事情聴取となった。  その件は家庭の事情を踏まえた上で女生徒同士の喧嘩となった。  山下果歩の友人らの証言も的を射てなかったため、取り合ってもらえなかった。母親は訴えるとまで言っていたが、父親が宥めた。 「悪いのは私だから」と。 そして、柴咲玲夏が刃物を持っていなかったこと、山下果歩の傷がすぐに消えたことにより、生徒同士の争いという形で幕が下りた。 不思議なことに柴咲玲夏の制服の血しぶきも消えていた。 山下果歩がいくら、言霊を見たと訴えても受理されるわけもなく、お互い連絡は取り合わないということで、両家が生徒を見張るということで解放された。  それから、柴咲玲夏は数カ月に一度しか学校に顔を表さず、水上幸助を避けるようになった。 連絡するも返信がない。 水上幸助が彼女を捕まえることができたのは、卒業式の日だった。
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