エピローグ

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エピローグ 「やっと、捕まえた……!」  桜の花びらが散っている。雪も同時にちらついている肌寒い日だった。雪と花弁が同時に吹き荒れている。白い息が弾んだ。 「恋文読んでくれたんでしょーか」  水上幸助が細い柴咲玲夏の手を摑まえた。渡り廊下でようやく彼女の後ろ姿を見つけたのだ。長い髪を短く切ってショートカットにしていたのも知らなかった。控え目に言ってもかわいい。  蒸気した頬がピンク色に染まっていた。 「どの面さげてあんたに顔見せたらいいのか、わからなかった」 「尊大な態度で、笑っていてくれさえいたらいい」  卒業式が終わって、記念写真などを各自が撮影している。浮足立った空気と共に、これからの不安が言霊として浮かんでいるのだろう。  水上幸助も、じっと見ていれば言霊が視えるのかもしれないと考えていたが、やはり柴咲玲夏越しじゃないと浮かんでくることはなかった。あの一見依頼、卒業まで平穏無事な毎日を過ごした。久しぶりに会う柴咲玲夏は少し痩せたように見える。 「それは悪かったわね……私あれから言霊を聞こえないようにずっとヘッドフォンをして過ごしていたの。言霊が視えないというのは世界に鈍感になってしまうのと同じ。他人の心が読めないことが、こんなに不安だとは思わなかったわ」  と視線を逸らした。  柴咲玲夏は今まで相手の言霊を食べることで、味によって相手がどう考えているか理解していた。毒性が強ければ「元気?」という言葉でも悪意が込められ体調を崩した。怖くなって柴咲玲夏は誰とも接触しなくなったということだ。 「だからといって、僕まで避けることないじゃないか」  柴咲玲夏は視線を外して、卒業式の写真撮影をしている生徒らに身体を向けた。 「あなたは、本当に私のことが好き?」  いつもだったら、茶化して流した言葉。今はこの瞬間こそ噛みしめるべきだとわかる。 「うん。不本意ながら好きになってしまった。恋文に書いたと思うけど」 「『柴咲玲夏はかわいい』って、ラブレターっぽくないし」  あのとき。 山下果歩に対して負の感情で心が支配されたときに水上幸助が口に突っ込んだ紙屑をあとで広げてみたら、そんな一言だけが書かれていた。 「恋文について説明するほど、恥ずかしいことはない!」  ひねりすぎて伝わっていなかったことに水上幸助は憤慨した。その様子がおかしくて、柴咲玲夏はつい吹き出してしまう。腹を抱えて笑う柴咲玲夏。 水上幸助は視線を上にあげた。まぶしすぎて直視できない。澄ましているときと違って鼻にしわを寄せて笑う彼女の方が自然でかわいい。 「やっぱり笑った方がかわいい」 「――あなたは昔も今も同じことを私に言ってくれるのね」 「昔? いつ?」  幼稚園の頃。柴咲玲夏が変わろうと思えたのは、小さな太陽を手に入れたから。水上幸助はまだ気づいていないのだろう。 「ひょっとして言霊が視えたのは……既に君が私の心の中にずっと在ったから、かな」 「どういう意味」 「なんだ、そうか。やっぱり、水上幸助、あなただったのよ」  ずっと昔に聞いた言霊が今も柴咲玲夏を励ますように照らしている。誰かに初めて認めてもらった瞬間といえた。容姿を褒めただけだったけど、言霊の中には【だいじょうぶ】【ひとりなの、僕がいるよ】【泣かないで】が含まれていて、すごく温かいものだった。 「なんだよ、ひとりだけ納得したような顔をして」 「いや。本当に言葉ひとつで人は救われていくんだなって……」  ずっと前から柴咲玲夏は水上幸助に恋をしていた。気づいてしまうと途端に、水上幸助がさらに違って見えた。 「【水上幸助はかっこいい】」 「もう褒美はいらないけど」 「そうね。これ以上かっこよくなって他の女子が気づいたら困ってしまうわね」  浮かんだ言霊を柴咲玲夏は霧散させる。 水上幸助の言葉が柴咲玲夏の中で居座ったのと同じ現象が山下果歩だ。 山下果歩に執着するあまり悪夢を見せてまで彼女の中に私を居座らせてしまった。それは悪いことをしたと思う。  あのあと、母伝いで悪夢を見なくなったと聞き、ほっとした。  山下果歩も両親に相談できず苦しんでいたに違いない。  今になって本当に悪いことをしたと思う。精神的におかしくさせてしまったのは、誰でもない私だ。それはずっと背負っていくべきもので、すぐに許されるものではない。  もう、言霊で人を傷つけてはいけないのだ。  きっと、これからも様々な陰口や誹謗中傷などに当たってしまうだろう。それでもなお、私たちは言葉と共に生きていかなければならない。人は一人で生きていくことはできないのだから。  水上幸助が「それって、どういう意味? OKってこと?」と嬉しそうに迫ってきたが、交わして柴咲玲夏は走り出した。  渡り廊下から飛び出して、水上幸助から逃げ惑う。 桜の花びらと笑った口に入りそうだとか、まつ毛に雪が乗ってしまうとか、白い息を吐くほど寒いとか、これからの将来が不安だとか、すべて今このときは、気にならなかった。  きっと、このあと返事をして、柴咲玲夏が水上幸助の通う大学近くの、服飾関係の専門学校に合格をしたことを聞けばさらに喜ぶだろう。嬉しい言葉はちょっとずつ、溶かすように、堪能したい。 【ありがとう】 【おめでとう】 【また連絡してね】 【お母さんありがとう】 【これからもよろしくね】  ――雪、花びら、言葉が周りを取り囲む。肺にいっぱい吸い込んで柴咲玲夏は幸せそうにじっと両目を閉じる。  それは、まるで甘いお菓子を食べたときのように。 おわり。
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