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プロローグ
「恋バナ食べたい彼女とモブの僕」
プロローグ
世界にはずっと自分だけだった。言葉を放つのも、内側の自分に向かって。
その言葉が、辛辣なほど私は更に辛気臭くなっていく。
周りの大人たちが「かわいい」と言わないのも頷けた。
母の【わたしのそだてかたがわるかったっていうの?】という言葉が宙を漂うのを眺めていた。言葉たちは形を成し、唇から次々に吐き出されている。
私以外でそれらを捉えている様子はなかった。幼い頃はひらがなが読めなかったので、なんだろうと不思議に思っていた。
両親はよくケンカをしていた。
喧嘩の内容は様々であったが私の名前が出ることが多かったように思う。
口論している母の口から出た文字をつい吸い込んでしまったことがあったが、それは数日に渡って私のお腹を苦しめた。
熱が出て寝込んだ。お母さんの言葉を食べたと言っても聞いてはもらえず、嘘をつく悪い子として、しばらく口をきいてもらえなかった。
砂場で城をつくるのが日課だった。そこは自分だけの王国だった。砂場の隅、ひとりで作っていると心が安らいだ。ひんやりとした砂の感触、爪の間に入るのが嫌だったけど、誰とも会話せずにいられるし、放っておいてもらえた。
——ひとりだけ友達がいたのだけどお母さんはもう話してはいけませんと言ったのでもうずっとひとりだった。
時折、先生がやってきて「立派なお城だね、素敵だね」といって去っていく。
ところが、私の王国に土足で踏み込んできたやつがいた。
「ねえねえ、あっちで一緒にあそぼうよ」
「…………」
顔を見上げないで無視をする。城の周りに塀をつくるので忙しい。たまにいるのだ、こういうのは。しかし、彼はしつこかった。
「てつだうね」
完成した城を触ろうとしたので、手を払う。首をふって断る。
前髪の間から見える彼は太っていて、白いクリームパンみたいだった。髪色が明るく、太陽の光にキラキラ輝いていた。
目があうと、彼は驚いた顔をして大きな声を発した。
「君、とってもかわいいね!」
「…………え」
かわいい? 私が? 嘘つきなのかな、この子。
私は顔がおたくふく風邪のときのように赤くなっていく感じがした。男の子は顔を覗き込んでこようとした。左に俯く。
「そんなことない。みんな、【かほちゃん】もきみわるいっていってた」
「みんな? 【かほちゃん】?」
「そう」
「僕はかわいいって思うけど」
「うそだよ」
「わらったほうが、もっとかわいいんじゃないかな」
彼が笑ったのに釣られて、少しだけ微笑んでみせる。彼は「あ、ほら!」と言って何かを言いかけた。ところが、別の友達に呼ばれて、そちらの方へ駆けていく。
友達が多いんだな、って羨ましく思った。転がるように走る彼の背中をみて、私は立ち上がる。
「私はかわいい……」
彼が言った言葉の余韻。
目の前に浮かぶ、【きみとってもかわいいねぼくはかわいいっておもうよわらったほうがもっとかわいいんじゃないかな】を摘んでみる。
浴びせられる言葉ではなくて、自分から食べてみようと思うのは、これが初めてだった。
波間に漂うかのように、口から出た言葉は場にしばらく滞留し続ける。
想いが強いほど、長く。何気ない言葉だからすぐに消えてしまうかもしれない。早く。
舌を出して摘んだ手を上にあげる。そして、口の中に流してこんでいった。まだ、出来立てで温度がある。
ほっこりして、少しだけ甘い。ちょっとだったのに、胃に落ち着いた瞬間から全身をくまなく温めていく。春先だったけれど、私の体温はとても冷えていた。季節とか関係なくずっと冷たかったんだと気づいた。
不思議な気持ちで両手をみる。両手もあたたかくて、そして込み上げてくる自信。
小さな太陽は今もなお、ずっと照らし続けている。
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