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十 説教と絶叫
「三人黙っててもわからないでしょ」
放課後の職員室。雲回先生の席の横。雲回先生に近い順で自分、ショー、きうっちゃんと立っている。一人自席に座る雲回先生が滔々と話す。
「米谷たちが廊下で話していたら栄野がいきなり米谷の胸倉をつかんで突き飛ばしたんだって。米谷が笑っていたのを自分が笑われたと栄野が勘違いしたんじゃないかって米谷は言ってたぞ」
三人とも口をつぐむ。
「そうなのか、栄野」
雲回と目を合わせずその膝元を見る。グレーのスラックス、いつも穿いてるやつだ。ぐわっと開かれた足。太い太股。
「何で黙っている。ほら、先生の方を見なさい」
ぎゅっと顔を上げる。
「何だその目は」
すぐに目を逸らして下を向く。
「高橋、あのとき先生に何か言いかけたよな。栄野のことは気にしなくていいから言ってみなさい」
ショーも黙っている。ごめんな、ショー。ショーは何も悪くないのに。悪いのは全部オレなのに。何かショーまで悪者扱いされて怒られて。本当にごめん。
「はー」
雲回が大きくため息をつく。
「木内先生。二人からちゃんと話は聞いたんですか」
イラついた表情をきうっちゃんに向ける。
「……。はい」
「そうなんですね。それで二人は何と」
木内先生も黙っている。先生もオレらと同じだ。うまく取り繕うことができない。
「何で先生まで黙ってるんですか。これじゃこいつらと変わらない。先生は小学生じゃないんですよ」
「すみません」
「すみませんじゃないですよ。何も私は先生に謝って欲しいわけではない。建設的な話がしたいんですよ建設的な。言ってる意味わかります」
雲回が一呼吸置く。
「私はね、一方当事者の証言だけで事の事態を判断したくないんですよ。双方の話を聞いて、双方がしっかり話し合って、どうしてこんなことが起こったか、どうすればよかったのか、今後こういうことが起こらないためにはどうしたらいいか、そういう建設的な解決をしたいんですよ。私何か間違ったこと言ってます」
雲回が一旦話を止める。きうっちゃんは何も言わない。
「え、間違ってます。間違ってるならどこが間違ってるかご教授願いますかね」
雲回が畳みかける。
「いえ」
「そうですよね。私何もおかしなこと言ってませんよね。木内先生、結局あなた二人に話してもらえなかったんですね。だから何も言えない。普段生徒たちと友達づき合いのように仲良くなさっているようですが、肝心なときに生徒の話が聞けない。先生として生徒たちから信頼されていないんですよ。なめられてるんですよ」
ウチの先生にそんなこと言うな! きうっちゃんだって何も悪くない。悪いのは全部自分なんだ。何でオレじゃなくてきうっちゃんをねちねちいじめるんだ。もういい! オレが全部米谷のことぶちまけてやる。畜生、畜生。
下を向きながらきうっちゃんを見る。口を開いて声を出そうとすると、きうっちゃんがこちらを見て二、三度小さく首を横に振る。いいのよ、夏樹。
隣のショーの握りこぶしがわなわなと震えている。
「前々から思っていたんですけどね」
三人の反応をよそに、雲回がここぞとばかりに得意気にしゃべり続ける。
「三組の生徒がきっとそのうち何かを起こすんじゃないかって。嫌な予感がまんまと的中してしまいましたね。私はね、考える力を持った子どもを育てたいのですよ。何かあったらどうしてそうなったのか、どうすればよかったか、今後どうしたら良いか、一組では納得のいくまでとことん話し合います。私は子どもたち一人一人をちゃんと一人前の人間として扱っているんですよ。だからこそ厳しいことも言う。だからこそ子どもたちの機嫌取りはしない。しっかりと私が考えていることを子どもたちに伝えて一人一人にとことん考えてもらう。一組はそうやってきたから、私と子どもたちには固い信頼関係がある。私があの子たちを一人前に扱っているからこそあの子たちもおかしなことはしない。ちゃんと一人前に振る舞う。勉強も勿論大事ですけど、そういうことを学ぶのが学校で一番大事なことなんだと私は常々思っています」
雲回が止まらない。
「それに引き替え六年三組。木内先生には先生なりの教育方針がおありでしょうから私はずっと目をつぶっていましたが、ああやって私はみんなの仲間よ、みんなの味方よ、って子どもたちに迎合していたら、何のための先生ですか。先生という立場の人間がそんなことをしたら先生がいないよりもむしろひどいことになる。子どもたちは好き勝手やる。声の大きい子、目立つ子が我が物顔にクラスを牛耳る。だってそうじゃないですか。先生が迎合してくれるんだから先生の御墨付をもらったも同然ですからね。それで統制がとれなくなる。面白ければ何でもいい。面白いが正義のようになる。そうやって真面目にこつこつやっている一組などを笑い者にする」
ここまで一気にまくしたてると、雲回は
「はーっ」
ともう一度大きくため息をつく。
「こんなことね、子どもたちの前で言うもんじゃないとお思いかもしれませんけどね、私はね、先程も申し上げたように、子どもたちを一人前の人間として扱いたいんですよ。それはたとえ三組の子であっても同じです。私は正々堂々と私の考えを子どもたちにも伝えます。子どもたちだってバカじゃない。大人の話をしっかり聞いている。声の大きい子たちばかりじゃないからそのときは静かに黙っていたとしても、ちゃんと聞いている。そしてその後自分たちの頭で一生懸命考える。そうして多くの子は、時間がかかるかもしれないけど、最後には、雲回先生の言っていたことが正しいとわかってくれる。そういうもんなんですよ、子どもって」
雲回が手元のお茶を一口すする。
「今回の運動会もね、私は何も言いませんでしたけど、木内先生が昼休みに子どもたちに練習を強制させているの、あれどうかと思ってましたよ私。本来ああいうことは子どもたちが自分の頭で考えて自主的にやるものです。大人が上から押しつけるもんじゃない。勿論子どもたちが相談してきたらそりゃ親身になって応えますよ。一組ではリレーの走る順番を子どもたちが私に相談してきて、私も私だけの考えを押しつけたりなんかせず、とことんまでクラスで議論しました。それでみんな納得してあの順番になったんですね。それに比べて三組は。あのバトンパスだって子どもたちが本当に望んだことですか。先生のクラスは一見自由そうに見えて実はバトンパスのやり方一つとっても先生の押しつけですからね。そうやって子どもたちの力だけで真面目に取り組んだ一組を負かして、それが長い目で見て将来の子どもたちのためになるんですかね。こうやって私は、私のクラスは、一つ一つしっかりと自分の頭で考えています。勢いとノリじゃないんですよ」
話が事件のことからどんどん逸れていく。
「そもそもですね」
「あの雲回先生」
向かいの席から吉成先生が雲回に声をかける。雲回がぱっと吉成先生の方を見る。
「お話し中すみません。明日のPTA会議の件なんですが」
「ああそうでしたね。すぐお話しします」
雲回は吉成先生に軽く一礼するとこちらに向き直る。
「とにかく、笑われたと勘違いして突き飛ばしたということでいいんだな。何にせよ暴力は絶対にダメだ! 今度やったらご両親にも来てもらうからな。米谷も怒ってないし大ごとにしたくないって言ってるから、今回は厳重注意に留めるが。米谷に後でしっかり謝っておくんだぞ」
「はい」
「それと木内先生、今後こういうことのないように今一度教育方針をお考えになった方が良いかもしれませんね」
きうっちゃんは黙っている。雲回は
「もういいですよ。あ、吉成先生お待たせしました」
と言うと、向かいの席の方を向いてしまった。
雲回の横につっ立っている三人。吉成先生に話しかけている雲回に向かって
「失礼します」
と頭を下げて席から離れ、職員室の出口でもう一度
「失礼します」
と頭を下げてドアを閉めて職員室を出た。きうっちゃんとショーと三人。「失礼します」ってきうっちゃんの席は職員室だけど。でもきうっちゃんも一緒。三人無言で廊下を歩く。教室に向かう。だんだん早足になる。「廊下を走るな」。また雲回に言われそうなので、走る手前のギリギリの速さで三人競うように教室に向かう。ドアを開けて放課後の教室になだれ込む。誰もいない教室。ショーが一目散に窓に向かう。窓をガラっと開ける。
「ワーーーッ」
外に向かって大声を張り上げる。
「ワーーッ、ワーーッ」
闇雲な大絶叫。隣に駆け寄る。
「ワーーーッ」
ショーの隣で自分も大声を上げる。
きうっちゃんまで来て
「ギャーーッ、ウォーーッ」
叫んでいる。右にショー、左にきうっちゃん、三人で窓から首を出して大声で何度も叫んだ。下校中の何人かの子が振り向いてこちらを見て笑っていた。
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