三 バトンパス練

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三 バトンパス練

「よーしみんな来たわね」  きうっちゃんがジャージ姿で待ち構える。 「バトンパスはこのテイクオーバーゾーンの中でしなければならないの」  きうっちゃんがトラックのラインを示す。お、いきなり始まった。今日は昨日みたいに時間オーバーしないように急いでるのかな。 「それで前もってマークを作っておいて、そこを前のランナーが通過したら思いっ切り走り始めるの。それで渡す方の人はもらう方の人に近づいたら大声で「ハイ」と声をかける。そしたらもらう側が思いっ切り走ったまま後ろを見ないで手を昨日やったみたいに出すのね。ほらこう」  きうっちゃんが昨日と同じ受け取る手の形を作る。 「そこに渡す側が手のひらを前に向けて下から押し出すようにしっかりと前の人にバトンを渡してあげるの。手がしっかり触れ合うように」  きうっちゃんと同じ手の形を左手で作っていた千雪にきうっちゃんが右手で下から押し上げるようにバトンを渡す。いきなりだったので千雪がちょっとびっくりするが、すぐさま対応する。 「まずはバトンパス、みんなでやってみましょう。右左はね、先生考えてきたんだけど、最後の夏樹が右手で受け取る順でどうかしら。そうするとフローラは夏樹の右に抜ける形になるから夏樹はインコースぎりぎりからためらいなくスタートできる。夏樹は生沼君相手だからね。少しでも有利にさせてあげないと」 「じゃあそうすると私とショーが右、コム、野山さん、フローラが左ね」  千雪は飲み込みが早い。えっとー右で左でと考えていたような顔をしていたコムがそれを聞いてさもわかってた風にそうそうと頷く。 「千雪その通り! じゃあ走る順に並んでこのバトンで受け渡ししてみましょう」  自分が一番前でコムが一番後ろに縦一列に並ぶ。すぐ後ろにフローラがいる。今日はスカートではなくジーンズをはいている。 「はい。じゃあコムが「ハイ」って言ったら千雪が右手で受け取る形を作って、それでコムが下から渡す。しっかり手が触れ合うようにね。それでコムが一歩右へ抜けて。千雪とぶつからないように」  コムが「ハイ」と大声で言う。千雪が右手を下に構え手のひらを後ろに向ける。 「千雪後ろを見ないで」  きうっちゃんが注意する。千雪が前に向き直る。コムが千雪にバトンを渡す。そしてシュッと右に抜ける。 「そうそう、上手い上手い」  きうっちゃんがほめると、コムは少し得意気な顔をする。 「じゃあ続けてやってみて」  千雪が「ハイ」とコムの半分くらいの大きさの声で言ってから野山さんの左手に渡す。 「そうそう、続けて」  野山さんが「ハイ」と千雪の半分くらいの大きさの声で言ってからショーの右手に渡す。  続いてショーが「ハァーイッ」と大声を出してフローラの左手に渡す。あ、後ろを見てたらダメだ。前を向かないと。「ハイ」としっかりしたフローラの声が聞こえる。右手を構える。バトンの筒状の感触とフローラの指先の感触が手に当たる。少しドキッとする。そのままフローラの手を包み込むように持つ。するとするっとフローラの手が離れてバトンだけがしっかりと右手に残る。 「よーし。さすがリレーメンバー。みんな飲み込みが早いわ。もう一度やってみましょう」  バトンをコムに渡す。コムが嬉しそうに受け取る。二回目。「ハイッ!」「ハイ」「ハイ」「ハァーイッ!」「ハイッ」。スムーズにバトンの受け渡しが行われる。フローラの手がまた触れる。 「いいわね! 次は走り出すタイミングね。まず夏樹以外の五人、走る順にここに並んで」  五人が言われた通りに並ぶ。 「それで、そこから十五足長分測ってみて。ほらこんな風に。フローラ、フィフティーンね」  きうっちゃんが左、右とつま先とかかとをつけながらトラックを逆方向に歩いて十二、十三と数えて行く。  五人が同じように自分の足で測っていく。 「よーしみんなそこね。ちょっと待っててマークするから」  きうっちゃんがそれぞれのところに走り寄って白いチョークでそれぞれのつま先の前に線を引く。 「それでコム以外の五人は前の人のチョークの場所を覚えておいて。フローラ、リメンバーショーズチョークポジション、OK?」  フローラが「OK!」と返す。何が起こっているのかフローラはだいたい飲み込めているよう。勘が良さそうな感じだ。 「よーし。じゃあ実際やってみましょう。コムから順に校庭一周走って。その人のチョークのとこまで来たら次の人は思いっ切り走り始めて。それで渡す側は近づいたら「ハイ」ね」  校庭ではサッカーをやっていたり、縄跳びをしていたり、低学年の子たちがきゃっきゃと鬼ごっこをしていたりする。一組のやつらがチラチラとこちらを見ている。そんな中で一周全力疾走。少し恥ずかしい。それでもコムはやる気満々で 「きうっちゃんいつでもいいよー」 と既にスタートラインにスタンバイしている。 「コムバトンは右手じゃなくて左」  千雪がすかさずコムに注意する。 「あ、ごめんごめん」  コムがバトンを左手に持ち替える。 「よーし、いくよ。位置について、よーい、ドン!」  きうっちゃんがスタートの号令をかける。コムが勢い良く走り出す。第二走者の千雪が準備をする。校庭で遊んでいる子たちをすり抜けてコムが疾走する。ただ走っているのとバトンを持っているのとでは、何かが違う。何が違うのだろう。何かこうバトンがあると真剣な感じに見えると言うか。コムが最終コーナーを曲がる。さすがに疲れているよう。チョークを越える。千雪が走り出す。コムが最後の力をふり絞って千雪に追いつく。「ハイッ」。千雪が右手を出す。コムが何とかバトンを手渡す。そのまま千雪が走り抜ける。  野山さんがスタンバイする。千雪は手を抜かず真剣に走っているようだ。でもコムよりはペース配分を考えているか。第四コーナーを曲がってもスピードは衰えずにあっという間に野山さんに追いつく。「ハイッ」。野山さんの左手に渡す。  野山さんはやはり五人に比べると少し遅い。速い人と遅い人って何が違うのだろう。みんな真剣にやっている。同じように手を動かして足を動かして。それでも走るフォームはみんな違う。コムは手を下の方でぶらぶらと振ってシパタタタと足が素早く動く感じ。千雪は肘をしっかり曲げて腕を前後に大きく振り、歩幅も大きいゆったりと大きなフォーム。野山さんは。野山さんは手足を真面目に動かしてる感じだけど思ったより進んでないと言うか。フォームの問題なのかな。それも少しはあると思うけど、速い人は何にしたって速いし、遅い人はいくらフォームを矯正してもホントに速い人より速くなるとは到底思えない。自分も三組では一番だけど生沼にはどうやったってかないっこないし。  野山さんが戻ってきた。ショーが走り始める。野山さんが追いつけない。ショーが心配になって後ろを向く。スピードを緩める。大分先の方で野山さんが追いついてショーに「ハイ」と渡す。ショーは後ろを見ながら受け取る。気を取り直してスピードを上げる。フローラがスタンバイする。野山さんのところに千雪が駆け寄る。 「お疲れ! 野山さん」  野山さんは息が上がっている。  フローラが校庭を走る。校庭中の視線がフローラに集まっている。フローラのバトンを受け取るんだ。フローラのチョークを見つめる。フローラがそのラインに近づいてくる。越えた! 一気に走り出す。手を抜かず、思いっ切り。フローラは追いついてくるだろうか。少し不安になる。「ハイッ」。フローラの大声が聞こえる。右手を出す。フローラの手が当たる。握りしめると、フローラの手はさっと離れる。受け取り完了! あとは一周走るだけ。校庭内はフローラのときのようには自分に注目していないようだ。何事もないように皆遊んでいる。自分は走ってももう誰にもバトンを渡さない。あんまり走るイミないかも。リレーメンバーもこっちに注目してないかもな。でも先生タイム計ってるみたいだし。気を抜いちゃダメだ。走りながらゴールライン辺りを見る。みんな真剣にこっちを見てくれている。フローラもじっと見てくれている。よし、あと半周。あと少し。ゴール。 「はーいみんなお疲れ。これがまずはみんなの標準タイムね」  きうっちゃんがストップウォッチを見せる。 「このタイムをどんどん短縮していきましょう」  息をはずませながらきうっちゃんの話を聞く。 「それとマークの位置は少し修正が必要ね。コムはそのままで良さそうね」  コムはなぜかまた少し得意気である。 「千雪はあと三歩伸ばしてみましょうか。十八足長ね」 「はい」 「野山さんはつらかったね、ごめんね。ショーがやっぱり速いから、野山さんは五足長にしてみましょう」 「はい。ごめんなさい」 「全然全然。謝ることなんかないのよ。ウチで三番目に速い女子なんだから堂々としてていいのよ」 「はい」  野山さんがうつむきながら答える。 「ショーとフローラはスムーズだったわよね。このままでいいわ」  ショーがにこっと笑う。フローラに 「ノーチェンジ」 と説明している。フローラもにっこりショーにほほ笑む。 「問題は夏樹のところよね。テイクオーバーゾーンぎりぎりだった。本番では夏樹はもっと速いだろうから」  きうっちゃんが少し考える。手を抜いたつもりはなかったが、どこか本気じゃなかったのだろうか。そこを先生に見抜かれていたのか。 「次は十二足長でやってみましょう。フローラトゥエルブにチェンジね。それでも難しかったらテンにしましょう。ファースト、チャレンジトゥエルブ、イフディフィカルト、チェンジトウーテン」  フローラは真剣な表情で聞いている。  そろそろ校庭がまばらになってきている。きうっちゃん時間大丈夫? 「もう一回といきたいとこだけど今日はここまでね」  あ、先生ちゃんと学習してる。 「明日また試してみましょう」  七人で今日は歩きながら校舎に戻る。きうっちゃんが 「みんなのタイムはシークレットね。特に一組には」 とつけ足した。
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