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六 バトン
「ほら、男子、行くわよ」
千雪がフローラと野山さんを引き連れてオレらのところにやってくる。水曜日の昼休み。今日もリレー練。
オレらはショーとコムと三人で、なぜか手押し相撲で遊んでいた。コムがさっと両手を素早く前に出してショーの手を押すと思いきやその外側に大きく手を伸ばす。続いて押してきたショーの両手を受け止めつつその力を吸収して思い切り自分の両手を引く。ショーが大きくぐらつく。
「あっぶねー」
ショーが大声を上げる。
「ハハハ」
昼休みに校庭でリレー練と三人ともわかっているが、どうせ千雪が声をかけてくるだろうからと三人とも教室でへらへら遊んでいたのである。今週に入って俄然千雪がリーダーシップを発揮し出してきた。フローラもやる気である。野山さんは静かに二人についている。こうなるとオレら三人は自然と「えーめんどくせー」とか言いながらだらだら女子たちについていくポジションになる。でも三人とも心から「めんどくせー」と思っているわけではない。女子たちとのこの練習を結構楽しんでいる。勿論オレら同士でそんなことは言ったりしないが。
ショーとコムは女子とのバトンパスをどう思っているのだろう。コムは千雪と、ショーは野山さんとフローラの二人と、そしてオレはフローラと手が触れる。いっつも少しドキッとする。ほんの一瞬触れるだけなんだけど、確実にフローラの手をつかむ。もしかしたら二人とも何とも思っていないのかな。単純にバトンパスをミスらないようにと思っているだけなのかな。変に意識しているのはオレだけなのかな。女子たちはどう思ってるんだろう。フローラは。勿論誰にも言わないけど、きうっちゃんが夏樹の前に走る人は夏樹の次に足が速いフローラで、と言ったとき、実は内心きうっちゃんナイス! って思ってしまった。顔には出さなかったけど。
女子はどの男子が好きだとかそういった話をヒソヒソしているみたいだけど、オレらはそういう話はしない。コムなんて、実際やりはしないけど未だにスカートめくりでもしそうな勢いのガキんちょのまんまだし。ショーは少しはフローラのこととかでこっちをからかったりはしてくるが。
千雪は多分男子に人気がある。多分だけどね。コムなんかアホなことして千雪に突っ込まれたりするの結構嬉しそうだし。
まあそんなこんなで(一体何がそんなこんななんだ)今日も六人校庭に行く。
最近はオレらを見てか下の学年の子たちも昼休みリレー練をしたりしている。でもオレらみたいに厳密にマーク位置を決めて走り出すなんてことはせず、バトンのもらい方も人それぞれ。走ってくる方を見ながら少しずつ走り始めてバトンをもらう感じ。低学年の子たちはもらってから走り出す感じ。
六年は一組も二組も一度も昼休み練習に来ない。二組はまだしも、一組は。あいつらの走ってるとこ見たことない。ベールに包まれていて何か不気味。何といっても生沼。あいつどんだけ速いんだろう。女子メンバーはフローラと千雪がいるからこっちの方が速いか。あんまり言いたくないけど野山さんがもう少し速ければ。
「はい、まずはウォームアップで校庭三周みんなでゆっくり走りながらバトンの受け渡しするよ」
千雪が全員に指示を出す。千雪の方がきうっちゃんより先生みたいだ。
「へいへい」
男子三人だらだらと千雪たちに続いて走る。少し進んでから持ってきたバトンをコムが千雪に「ハイ」と渡す。そうやって少しずつ進みながら次の走者に「ハイ」とバトンを渡す。自分のところまで来ると、コムにバトンを返す。みんながやってる「ハイ」のアンダーハンドパスはしない。フツーにコムを見て手渡しする。
「オレらも「ハイ」のやつやってみようぜ」
言うと思った。
「えーいいよ」
「な、お願い。一回だけでいいから」
他のやつらもこっちを見ながら走っている。何かこっ恥ずかしい。でも一人だけやらないのもオレは特別なアンカーなんだからって言ってるみたいでそれもイマイチだ。
「じゃあ。行くよ」
「OK!」
速度を緩めてコムの後ろに回り込む。昼休みの校庭で遊ぶ子たちの黄色い喚声が校庭中に響いている。
「ハイ」
コムが左手を斜め下に下げて手のひらをこちらに向ける。そこに振り子のように右手を振って下からそっと押し出す。渡す側ってこんな感じなんだ。こんなにゆっくり走っているのに、走りながらだと相手の手に渡すって結構神経使うんだなあ。もらう側は手を出してあとは飛び込んでくるのを待っていればいい。自動的に来るもののように思ってたけど。しかもお互い全速力で走ってだろ。それに校庭一周走ってきた最後にだもんな。今までみんなバトンを落としたりとか一回もないし、簡単なことのように思ってたけど、これって結構みんなすごいのかも。
「おーっ、もらうのってこんな感じなんだ」
コムがはしゃいでいる。
「何か、いくぜっ、て感じになる。もらうのいいなー」
そうだよな、コム。バトンって不思議だ。単なる細長いプラスチックの筒に過ぎないのに、これがあるだけでやる気になる。気が引き締まる。これを持つことが特別な感じがする。
今だって校庭をゆっくり走っているだけだけど、これをもし一人で三周走ってたらつまらなくて長く感じるだろうな。それをみんなでバトンを回しながらだと、何だか気分が全然違う。楽しい。これがもしバトンなしで六人で走っていたらどうだろう。やっぱり少しつまらないのではないかと思う。
「はい、じゃあみんな準備いい。タイム計ってみましょう」
千雪が全員に声をかけ、フローラに
「スタートお願いね」
とストップウォッチを渡す。昨日からスタートはフローラがやっている。そしてフローラは自分のスタンバイの前に三走で走り終えた野山さんにストップウォッチを渡している。最後に野山さんがゴールを計る。全部女子。女子軍団の結束が固まっているのか、男子が信用されていないのか。ショーはフローラの一つ前に走るからフローラはストップウォッチを渡せない。千雪はマーク位置に立つからダメ。となるとコムか野山さんなんだけど。まあでもオレでもこの二人だったら野山さんに託すかな。
「いちについて。ヨーイ、ドン!」
フローラが大声を上げる。誰も教えていないのに、フローラは昨日からしっかりとスタートの号令をかける。きうっちゃんが言っていたのをしっかり覚えていたのだ。
コムのマーク位置に立ってスタート付近のみんなを見る。ショーがへらへらと野山さんにちょっかいを出している。あ、思ったんだけどショーだけ走るほかに何もやることない。フローラと野山さんは計測、千雪とオレはマーク立ち。あ、走り終わったらコムもか。あいつらホントしょーもないな。
一回目の計測が終わってみんなで少し休んでいると、五年の子が
「あのー、私たちと勝負しない?」
と言ってきた。女子だ。五年も女子。ウチの学校は女子の方が積極的なのか。
「どうする、みんな」
千雪が聞いてくる。五年は一人校庭半周。多分オレらのうち三人対五年六人になる。ちょうどいいハンデにもなるだろうし。
「やろーぜやろーぜ」
コムが即答する。
ショーも
「いいんじゃね。ヨーイドンで走り始めて三人目までで五年と勝負、オレらはその後も全員走ってタイム計測」
とコムに続く。だとするとショーは勝負には加わらない。
「それ良さそうね。野山さんどうかな」
千雪が野山さんに尋ねる。五年の子たちも野山さんの方を見る。野山さんは誰とも目を合わせずうつむいている。
「私は。私はみんながそれで良ければ」
と小さな声で言う。
「よし、じゃあ決まりね!」
千雪が言うと、五年の子たちが嬉しそうに手を合わせている。
「みんなーOKだって!」
提案してきた女子が残りのメンバーに向かって声を張り上げる。全員ぞろぞろとこちらにやってくる。五年の女子がフローラに「かわいい」と近寄っている。
お互いただ走っているよりこの方が気合いが入っていいとは思う。とは思うが、この勝負結構ヤバいかも。コムと千雪はいいにしても野山さんだ。コムや千雪は腕を伸ばしたりしてやる気だが、野山さんは下を向いている。
フローラは何が起こっているかわからないだろう。五年の子とにこやかに何か話している。
結果は危惧した通りだった。コムと千雪で作ったリードを保てず野山さんのところで五年のアンカーに抜かれた。五年は大喜び。結局タイムも一回目より遅かった。
「ごめんね、みんな」
野山さんが落ち込んでいる。自信なくさせちゃった。逆効果だったか。
「気にすんなって。五年の最後二人どっちも男子だったじゃん。しかもアンカーも相手にしないといけなかったし。野山よくやったよ」
ショーが野山さんに声をかける。千雪も
「そうよ。一番きついとこが野山さんだったよね」
と続く。
「Noyama-san, no problem! 」
フローラも元気に言う。
ストップウォッチを首からぶら下げた野山さんを真ん中にして、皆で校舎に帰る。
左手に持っていたバトンをふっと見つめた。
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