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九 諍い
珍しく部屋に写真を飾っている。写真立てに入ったリレーメンバー六人の写真。走った順番に並んでいる。みんなとびっきりの笑顔。
「審査結果が出ました! 六年生クラス対抗リレー。一位は。三組です! 三組総合優勝です!!」
閉会式の後、とうちゃんが撮ってくれた。自分も写真左端で笑っている。左肘と左膝には絆創膏。ゴールして転んだときに擦りむいたものだ。
ギリギリだった。ゴールがあと数十センチ先だったら負けていた。自分たちが勝ったなんて今でも信じられない。でもあのバトンパス、フローラとのバトンパスで少しでも躊躇していたらきっと最後に抜かれていた。直前弱気になっていた自分にフローラが喝を入れてくれた。フローラは見事に結果を出して自分につないでくれた。フローラだけじゃない。ウチのリレーメンバー全員だ。
写真立ては机の上に飾ってある。もしショーとかが部屋に遊びに来ることになったら、勿論引出しの中にしまっちゃうけどね。この六人だから勝てたんだ。この六人だから生沼に勝てたんだ。
それにしても。写真立てを手に取る。それにしても、ウチの女子が一番レベル高いよな(走力という意味じゃないよ。勿論走力もそうかもしれないけど)。
ちょっとニヤつきながら、写真立てを元の位置に戻す。部屋の電気を消す。ベッドに入る。
運動会の週が明けた月曜日。校内に運動会の余韻が残っている。それでもだんだんといつもの日常に戻っていく。
休み時間。ショーと二人廊下を歩いていると、生沼たち一組リレーメンバーの男子三人が廊下で話していた。こちらに気づくと、そのうちの一人、第三走者で野山さんを抜いた米谷がこちらに向かって
「三組外人使ってズリーよな」
と吐き捨てるように言った。
何。今何て言った。
気づいたら米谷の胸倉をつかんで突き飛ばしていた。
「何だと。もう一遍言ってみろコラッ!」
「おいおいやめろって」
慌てて後ろからショーが両手で押さえてくる。生沼が間に入る。
「何やってんだお前たち!」
野太い声。雲回に見られた! ついてねー! くそっ、何だよこれっ。
突き飛ばされた米谷は廊下に尻餅をついたまま驚いてこちらを見上げている。
「やめなさい! コラッ」
こんなときでも雲回先生は廊下を走らず歩いてこちらに近づいてくる。くそっ、いまいましい一組!
「どうした。何があった」
雲回先生が全員に尋ねる。全員何も言わない。
「黙っててもわからないだろ。栄野、どうして米谷を突き飛ばしたりなんかした」
雲回先生とは目を合わせず下を向いて口をぎゅっと締めて黙る。
「あの、先生」
ショーが口を開く。
「いいから黙ってろって!」
強い口調でショーを制する。ショーも口をつぐむ。
「栄野、何だその態度は」
一組の廊下の前。異常に気づいた何人かの一組のやつらが心配そうに、と言うか野次馬根性でこちらを見ている。
「とにかくもう授業だ。みんな教室入りなさい。栄野と高橋は放課後職員室に来るように」
授業のチャイムが鳴る。雲回とは目を合わせずそのままスタスタと教室に戻る。ショーが後ろについてくる。
「おい、何だって」
「いいから黙ってろって。お前ゼッテー雲回に言うなよ」
小声で鋭くショーに返す。
「何で、悪りぃのあっちじゃん」
「いいから!」
頭に血がのぼったまま早足で歩く。三組のドアを開ける。
「ほら、二人遅いよ! 早く席に着きなさい」
いつものきうっちゃん。和やかな教室。誰もさっきのことには気づいていないよう。
「あ、すみませーん。ウンコしててー」
ショーが努めてへらへらと振る舞う。教室に笑いが起こる。
「もーしようがないわねー」
いつもの三組。でも自分はとんでもないことをしてしまった。
授業は全く頭に入って来なかった。幸い一度も指されずに済んだけど。さっきはかっとなってショーに怒りをぶつけてしまった。心配してくれる友達にひどいことをした。理由はどうあれ人に暴力を振るった。オレサイテーだ。こんな和やかなクラスにいる資格ない。
でもあのことは雲回にだけは言いたくない。絶対に!! フローラをさらし者にしたくない。あんなこと雲回に言ったら、きっと昼食の議題とやらで一組で好き勝手話される。
フローラに聞かせたくない。あんなに一生懸命頑張って、みんなで練習して、勇気をもってトゥエルブに挑戦して。
悔しさが込み上げてきた。
「ハハハッ」
コムが何かを言って教室中を笑わせている。一緒になって笑う気にはなれなかった。
次の休み時間、ショーはこちらに来なかった。ショー怒ってんのかな。当然だよな、オレあいつにあんな態度取っちゃって。十分の休み時間をこれ程長く感じたことは今までなかった。
次の授業の後、ショーと二人きうっちゃんに呼ばれた。教壇の前で小声で話しかけられる。
「雲回先生から聞いたわよ。一体何があったの」
下を向いて黙る。ショーも何も言わない。
「米谷君を突き飛ばしたんだって。夏樹、それは絶対にやってはいけないことよ。でもね」
きうっちゃんは怒るというより優しくこちらを心配するような口調で言う。
「夏樹が理由もなくそんなことをする人間じゃないって先生わかってるから」
きうっちゃんの方を見る。心配そうな顔。
「何があったのか話してもらえるかな」
ちらっと左後方を見る。窓際一番後ろの席。フローラが座って前の席の森野と何か話している。
「先生、ここじゃちょっと」
先生とショーを連れて廊下に出る。一組から一番遠い廊下の奥の隅まで二人を連れていく。辺りを見回す。誰もいない。
「実は」
米谷に言われたことを正直に話す。きうっちゃんは一切口を挟まず聞いている。聞き終わると
「そうだったのね。そんなこと言われたら先生だってぶっ飛ばしたくなっちゃうわ」
と努めて明るい口調で言う。
「でもね、それは心では思ってもいいけど、やっぱり絶対にやっちゃダメ。夏樹だってわかってるよね」
「うん。先生ごめんなさい。でもあのときはカッとなってよくわからなくなっちゃって」
「そうね、でも何があっても手を出しちゃダメ。一回手を出す癖がつくとまた何度だってやっちゃうよ。先生そんな夏樹見たくない。今回が最後よ。絶対手を出さない!」
最後にきうっちゃんがしっかりとした口調で言った。
「わかった。もう絶対に手を出さない」
「よし」
きうっちゃんが大きく頷いてポンポンと頭を叩く。
「あ、これは手を出したのと違うからね」
とにっこり笑う。
「それで放課後雲回先生のところに三人で行きましょう。夏樹は米谷君にもちゃんと謝るように。悔しいとは思うけど」
「うん」
「よしっ」
「あ、それで先生、今のことは雲回先生には絶対に言わないで欲しいんだ」
「え、どうして?」
「フローラにも知られたくない。あんなこと、フローラの耳に入れたくないんだ。だって、あんなに頑張って」
涙が込み上げてきた。慌てて後ろを向く。きうっちゃんに気づかれたか。きうっちゃん、こういうとこ妙に勘が鋭いんだよな。
ぎゅっと手で涙を拭う。きうっちゃんに向き直る。
「わかったわ。これは三人の秘密にしましょう」
ショーも頷く。ありがとう先生。ありがとうショー。
「でも米谷君たちが正直にこのことを雲回先生に言ったら」
「そのときはそのとき。でもこっちからは絶対に言いたくない」
「わかったわ」
先生が職員室に戻っていく。ショーと二人。
「ごめんな、ショー」
「え、何が」
ショーがすっとぼける。こいつホントにいいやつ。
「何かショーに逆切れしちゃって」
「え、全然。てか、放課後雲回にねちねち言われんだろうなー。オレら三人黙り続けないと」
そうだ、そっちもだよな。ショーに迷惑をかける。
「ごめんな」
「フローラちゃんのためだもんな! オレはいつでも一肌脱ぐよ!」
ショーがニヤっと笑って軽くウィンクする。コイツ!
元通りの二人。並んで教室に戻った。
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