令嬢の憂悶、飼い犬の手助け

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令嬢の憂悶、飼い犬の手助け

「承知いたしました。それでは、お足元失礼します」  エヴェラウドは、いきなり私を横抱きにしたのだった。 「ちょっと!! 誰かに見られたらどうする気!? 早く下ろしなさい!!」 「ご安心ください。今は皆、ルシアノ様の悪口に夢中でしょうから。誰も来ません」  回廊をゆっくり歩きながら、彼は続ける。 「それか、飼い犬ごときの貧弱な腕の中では取り落とされないかご不安ですか?」  剣術や乗馬で鍛えられた彼の身体つきは、上から下に至るまで頼もしいものであった。女一人抱きかかえるなど、造作もないことだろう。  この胸に身体を預けてみたいという、ある令嬢の言葉も分からなくは無い。  けれども。彼の胸に抱かれるべきなのは、私ではない。 「……別に」  目を合わせぬまま、私は素っ気なく答える。そしてエヴェラウドの首元に腕を回したりはせず、大人しく飼い犬に運ばれることにした。  やがて、宮殿のとある部屋の前に辿り着き、彼は扉を開いた。どうやら、ゲストルームの一室らしい。 「ここで少し、休みましょうか」 「庭のベンチで良かったのだけど」 「いえ。横になれる方がよろしいかと思いまして」  それに、ゲストルームは自由に使って良いと聞いてるので。とエヴェラウドは続けた。  もしかすると、彼には全てお見通しだったのかもしれない。  私をベッドまで運んでから、エヴェラウドはメイドを呼んで何やら指示を出したのだった。 「手拭きと水を頼みましたので、少々お待ちください」 「悪いわね」 「いえいえ、とんでもない。飼い犬として当然のことですから」 「……勝手に言ってなさい」  彼に注意する気力も無く、私はベッドに倒れ込んだ。  ふと窓越しに外を見ると、丸い月と目が合った。  私の瞳を切り取ったように、丸い月。  物言わぬ逢い引きの目撃者を、私はきつく睨みつけた。  しばらくそうしていると、扉をノックする音が聞こえた。どうやら、メイドが頼んだ品を持ってきたらしい。 「お待たせいたしました」 「ありがとう」  グラスに注がれた水を口にすると、少しばかりの塩っ気が舌に広がる。  レモン一切れに氷を沢山。そして塩を少々という私の好きな分量を、きちんとメイドに伝えてくれたらしい。本当に、どこまでも気の利く男だ。  広間から離れたこの場所は、とても静かだ。エヴェラウドも口やかましい男では無いので、部屋はほとんど無音であった。  不意に頭をよぎったのは、ルシアノの顔。そして、彼が以前私に言った一言だった。  月のように冷淡、か。  その言葉はいつしか、思い出す度に、私の心に飢えを引き起こす呪いとなっていた。  今宵は飼い犬の''手助け''を求めるつもりは無かったのだが、それ以外に飢えから逃れる術を、私は知らない。  氷の浮かんだグラスをぼんやり眺めていると、ガチャリと音が聞こえた。見ると、エヴェラウドが部屋の鍵を閉めていたのだった。 「気分が良くなるまで、休憩したいと言っておきましたので」  気の回る飼い犬は、この後私が何を求めるかを早くも察していたようだった。  鍵のかかった部屋に二人きり。しばらくは誰も来ない。となれば、私を止めるものは何も無かった。 「エヴェラウド、こっちに来なさい」 「仰せのままに、ディアナ様」  これが最後、と自分に言い聞かせながら、私は彼を寝台の上へと呼び寄せたのだった。
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