水曜の夜にさよならを

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 冷え切った頭がほしいのに、二週間経っても熱は冷めず、時間だけが流れていく。時間が経てば、もしかしたら樹の気が変わるかもしれないと思ったが、連絡はなかった。もう二週間我慢して、わたしは樹にメッセージを送った。 『樹、元気? 今日の夜、暇じゃないよね?』 『ごめん。仕事が終わるのかなり遅くなりそうだから』  つれない返事にも懲りず、更に二週間後も誘ってみたけれどだめだった。理由は同じ。かなり遅くなりそうだから、だ。これまで一度だって、樹が水曜日の夜に来なかったことはない。だからきっと会えない理由は、会いたくないから、だ。  ぽっかりと予定がなくなってしまった夜、どこにも寄らずに真っ直ぐ帰るのが寂しくて、わたしは公園のベンチで時間を潰している。  知らないうちに嫌われるようなことを言ってしまったのかもしれないと、樹のメッセージを遡ってみても、待ち合わせのための連絡ばかりしか残っていない。何年も前からずっと、会って話すのが当たり前だったからだ。  もうわたしと会うつもりはないのだろうか。これまでのことを思い返していると、じわりと視界が滲む。  何かを始めれば、いつかその終わりは来る。ここで猫なんて拾わなければよかった。そんなことを考え始めると、クッションの上で幸せそうに眠るムギの姿が思い浮かんで、堪らない気持ちになってしまった。  手のひらのスマートフォンが震えて、わたしは目元を擦った。 『予定早く終わったから、今日は顔出すわ。今どこ?』 直哉からのメッセージだ。直哉が来ない、といつもあれだけ言っていたのに、わたしはなぜかがっかりしていた。 『ねこの公園にいる』 『は? なんで(笑)』 『もうやめたから。ねこの会』  それっきり連絡はなかったが、十分くらいしてコンビニの袋を提げた直哉が来た。会うのはしばらくぶりなのに、再会を喜ぶ気力が湧いてこなかった。 直哉はわたしの隣に座って、真ん中に缶ビールが六本入った袋を下ろした。 「よーお、ねこ娘。いつもの元気はどこいった」 「わたしビールじゃないのがよかった。いつもレモンサワーだよ」 「そうだっけ? つうか、どうしたのよほんとに。樹とケンカでもした?」  わたしの手に無理矢理缶ビールを押しつけて、直哉は早速飲み始めた。 「ケンカはしてないけど、わたし、樹にずっと嫌な思いをさせてたのかも」 「は?」 「仕事忙しいし、猫のこともみんな変わらず大事にしてるし、もうねこの会は終わりでいいんじゃないかって突然言ってきて、それっきり。でも、本当はわたしのこと苦手だったんだよ」 「そうかね?」  直哉は一気にビールを飲み干して、盛大なため息をつく。ポケットからスマートフォンを取りだした。 「今から俺が樹を呼んでやろっか。公園に寂しそうな猫が一匹いるって言えば、慌てて飛んでくるんじゃね」  冗談に笑う元気もなくて、わたしは俯いた。すると直哉が無遠慮に顔を覗き込んできた。 「ひでえもんな、美晴の顔。お前もともと丸顔なのに、頬の肉はそげ落ちてるし。そんな風になるまで無理されちゃあ、樹も身を引きたくなるっつーか」 「えっ」  そういえば樹と最後に会った時も、疲れが顔に出ていると指摘された記憶がある。 「十年も付き合ってるんだからさあ、もうちょっと気楽な関係でも良いだろ。何を頑張ってんのか知らんけど、楽しい空気ってのは作るもんじゃなくて、できるもんなの。樹と会いたいならまずは寝ろ。そんでその顔をどうにかしろ」  そのあと直哉は唖然とするわたしの手から、まだ開けてもいない缶ビールを取り上げて、代わりに空になった缶を握らせてきた。二本目に突入する。 「俺だったら、好きな子がへばりながら笑ってんのを見るのは最悪の気分だね。美晴はどう?」 「どうって?」 「相変わらずあほだねえ、おまえ」 「直哉に言われたくないんだけど」  久しぶりに会うというのに、失礼なやつだ。けれども直哉が来て、ビールを飲みながら言い合いをしているうちに、少しは気力を取り戻せたような気もする。  自宅に帰ると、わたしは真っ先に鏡に向かった。 「ほんとだ、酷い顔」  メイクが浮いて、はがれかけている。朝はここまで酷くなかったはずだが、夜になる頃には、クマが濃くなってくるようだ。そういえば、鏡なんていつも朝見たきりになっていて、樹や直哉と会う前でさえ、まともに確認していなかった。  まずは自分を立て直そう。男友だち二人から、指摘されるほどの状態をどうにかしたい。  翌日からわたしは不規則な生活をあらためて、食事にも気を遣うようにした。ひと月経って体調に変化が出てくると、心の調子も整ってくる。  ねこの会のメンバーが、一人、二人と抜けていったとき、まあ仕方ないよね、また今度遊ぼうね、と明るく送り出していたのに、どうして樹のことだけは、仕方ないと諦めきれないのか。  わたしは他人の気持ちどころか、自分のことにすら鈍感だ。少しはきれいになろうと思ったのも、毎晩彼のことばかりを考えてしまうのも、樹に友だち以上の気持ちを抱いているからだ。  週の真ん中に予定を組んでいたのだが、樹の予定さえ空いていれば、土日の方が負担にはならないかもしれない。わたしは樹にメッセージを送った。断られるのを覚悟の上だったが、あっさり了承の返事がきた。
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