雪と檸檬とチョコレート

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時刻は4時50分。 大粒の雪が止め処なく降り続け、積もった雪は風に舞いあがる。外一面が真っ白な世界で覆われていた。 この天気の中、歩いて帰るのは苦行のようなものだ。 「菊原さんの迎えは、まだ来ないんだ?」 外を見ながら元木が聞いた。 「うーん、もう少しで来ると思うけど。元木くんは歩いて帰るの?」 美咲はそう問い掛けた。しかし、その問い掛けに答えは返ってこなかった。 それよりも大切な質問が、同時に降ってきたからだ。 「あれ?元木くんだよね?」 二人が振り返ると、美咲の友人であり、元木の想い人である、橘 里香がそこにいた。 「久しぶり!去年、風紀委員で一緒だった橘 里香。覚えてる?」 「たっ!たち!たちばなさん!」 覚えているも何も、その時からずっと想っている。とは言えない。 元木の動揺した様子に、噛み過ぎでしょ、と里香は笑う。その笑顔に元木は頭を掻いて俯く。鈴を転がした様に笑う、とは里香の為にある言葉だと美咲は思った。 美咲が二人のやり取りを見ていると、里香も美咲に気が付き、ぱっと華やぐ笑顔を向けた。 「美咲!とっくに帰ったと思ってた!」 小柄で大きな目。ふんわりとした髪。透けるような白い肌に『里香の背後が透けて見えそうだ』と冗談を言った事がある。 同性の美咲から見ても、里香は愛らしく、魅力的だった。 「私は親の迎え待ち。里香こそ、こんな時間まで何してたの?」 美咲はレモンの飴を、隠すようにポケットにしまって言った。 「生徒会の集まりだよ。もうすぐ合唱祭でしょ?」 「あぁ、里香は副会長だもんね。大変だね。」 と、美咲が言うと、 「全然!面白い人ばっかりだし楽しいよ。今年の合唱祭は期待してて〜!」 いたずらを思いついた子供のように、里香はニヤリと笑う。コロコロと変わる里香の表情は、人を惹きつけるものがあった。 「元木君は?」 何してたの?と、里香に話を振られた元木は、 「お、俺は、キャッチャーミットを手入れしてて……」 と、明らかに緊張している。それに里香は、笑顔で答える。 「そうなんだ。こんな時間まで頑張ってるんだね。新人戦の決勝、美咲と見に行ったんだよ。」 ね、と美咲に同意を求めてくる里香。 こういうところが、里香の魅力だと美咲は思う。自分の思いを、それも相手が喜ぶような言葉で素直に伝えられる彼女は、美咲の憧れで、自慢の友人だ。 その友人は更に言葉を続ける。 「凄く感動したよ!準優勝おめでとう!元木くん、格好良かった!」 と、花のような笑顔で、いとも簡単に。 それを聞き、美咲は胃にズシリと心臓が落ちたような気がした。 さっき自分が言えなかった言葉を奪われたような、悔しいような、悲しいような気持ちが渦を巻く。 元木はまた頭をかいて俯き、ありがとう、と言った。そして、意を決したように顔を上げる。 「橘さん、帰りは歩き?」 「うん、駅まではね。」 里香が答えると、元木は大きく息を吸い、 「もし良かったら駅まで一緒に帰りませんか。」 と、一息に言った。里香の目をしっかりと見ながら。 美咲に見せる笑顔とも、白球を受ける時の表情とも違う、見たことのない顔だった。 その言葉と表情に、さっきまで話していた元木を遠く感じた。今すぐこの場を立ち去りたい、と美咲の心は重く沈む。 それに対し、里香の応えは軽かった。 「いいよー!帰ろ帰ろ!」 傘取ってくるね、と言って、くるりと後ろを向き、軽い足取りで傘置き場へ向かった。 その隙に、元木は美咲の方を向き、ガッツポーズをしてみせた。美咲は小さくピースをして、それに応えた。 「お待たせ」 里香の声に、元木は慌ててキャッチャーミットをしまい込み、靴を履いた。 里香はマフラーを巻き直し、 「じゃあね、美咲。寒いから風邪ひかないようね。」 と手を降った。 「菊原さん、また明日!」 そう、元木も声を掛けた。 美咲は、二人に、またね。と応える。 笑顔で言ったつもりだが、笑えていたかは、わからない。 元木が昇降口の扉を開ける。 冷気と雪が入り込み、室内の気温は一気に下がった。美咲はマフラーを上に引き上げ、顔を隠し、目を閉じる。 里香の「この風じゃ傘は壊れちゃうかな」という声と、元木の「橘さんは風で飛ばされそう」と笑う声が耳に刺さる。 耳も、塞げれば良いのにー。 そう思う美咲の耳に、昇降口の扉がパタリと閉まる音がした。
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