美しい棘

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美しい棘

「もう別れる」 「…本気で言ってんの?」 部屋に入るなり、交際2年になる恋人に別れを切り出された。 理由は分かっている。昨夜同じゼミで世話になっている先輩をこの部屋に泊めたからだ。 「別れるって、本気で言ってんの?」 「あの先輩と付き合えばいいじゃん。俺よりお似合いだし…。じゃあ、お幸せに」 そう言う彼の顔にはありありと怒りが浮かんでいるのに、その肩は震え、瞳にはじわりと薄く涙が滲んだ。 彼が異常なまでに嫉妬深く、独占欲が強いことは嫌というほどに分かっている。俺が誰かとふたりきりで会ったり、まして部屋にあげて泊めるなんて、彼にとっては絶え難いことだ。 それが男でも女でも。どんなに仲の良い友人でも。その人に恋人がいても、だ。 だけど昨日は仕方がなかった。近くで飲んでいたら終電を逃してしまったから泊めてくれと突然やって来たのだから。金のない大学生は近くに知り合いが住んでいればホテルに泊まったりタクシーで帰るなんて考えにはならないのが普通だし理解もできる。だから泊めてしまった、なんて彼に通じるはずがないこと、俺は分かっていたはずなのに。 「嫌だ。お前と別れるとか…。お前が俺以外と付き合うなんてありえないから」 「…嫌だ。ほんとに、もう別れる」 「ふざけんな。そんなの許すわけないだろ」 「…っ、…いた、い…っ」 別れる別れると繰り返す彼の細い手首を強く握り込む。ぎり、と骨が軋むほどに。 そして力任せにベッドに放り投げすぐにその上に跨ると、彼は「離せ」と吐き捨てるように言った。だけど上から真っ直ぐに見下ろせば、びくっと体を震わせて固まってしまった。 「俺と別れてどうすんの?お前、俺以外と付き合えんの?俺以外とセックスできんの?」 「…別に、出来るし。別に、お前じゃなくても…」 「は?じゃあ誰とすんだよ?」 「…それは…、」 「女の子抱けないだろ?誰に抱いてもらうの?俺以外の誰に」 上目遣いに睨み付けながら、彼は悔しげにぎゅっと唇を噛み締める。 「…もう、やだ。いつも俺ばっかで…、いつも俺ばっかり好きで…もうやだ」 だから別れたい、と彼はそう言いたいんだろう。だけどそう言わせる前に噛み付くように荒々しく唇を塞いだ。 「っ、ん、あっ…やめろ、って…」 「お前さ、それ本気で言ってる?」 「やだっ…、も、嫌い…っ、」 「だからさ。お前のそういうの、もう慣れてるんだけど。別に勝手に嫌えばいいし、お前が俺を嫌いでも俺は好きだし別れないから。お前がどこに逃げても絶対捕まえるから」 狂気じみた俺の言葉に、真下にいる恋人は眉間に皺を寄せてぞっとした表情を浮かべるけど、本当は酷く心が満たされて、もっともっと縛られたいと願っていること、俺は知っている。 俺に縛られれば縛られるほど、彼は喜びを感じ、そして安心する。 「じゃあ、なんで、先輩家にいれたの…、先輩がここ泊まったって…、なんで部屋あげるの…?なんで…っ、」 だから先輩が終電無くして…と何度理由を伝えても、それは無意味だ。 理由なんて、言い訳なんて、そんなもの彼は求めていない。それなら何をどう伝えようかと考えていると、彼はゆるゆると首を振りながら「俺の、だから…」と呟いた。 「お前は、俺のだから」と。 「誰かとふたりでいるなら、ちゃんと言って。家にあげるのは…嫌…」 こんなに面倒臭い奴。別れたらどんなに自由でどんなに楽になるだろうと何度も何度も考えた。だけど俺はこんなに面倒臭い奴をどうしようもなく好きになって絶対に手放したくないと思ってしまっている。 どうかしている。俺も、こいつも。 嫉妬をたぎらせる彼の瞳に、体の底から幸せが溢れてくる。心が満たされ、体が熱く疼く。 「分かった。ごめんな?でももう簡単に別れるとか言うなよ」 「そんなの、お前次第じゃん…」 「…ふっ、そうだな。…気を付けるよ」 できる限りの優しい声で髪を撫でながらそう伝えても、これからも事ある毎に「別れる」と喚く恋人の姿が安易に想像できる。だけどやっぱり、そんな彼も嫌いじゃないなんて。 もういい。 嫌い。 別れる。 そう言って、俺の心に彼は言葉の棘を刺す。だけどそれは俺の愛を確かめるための棘だ。 この2年間で刺さった棘で俺の心はボロボロなのに。なのにその棘を抜くこともせず、むしろもっと刺してほしいとさえ思っている。 俺の愛を確かめたがる、俺に愛されたがる彼の弱さが愛おしかった。 「…っん、…ぁっ、んんっ…」 少しの隙間も許さないようにもう一度唇を重ねた。まるで呼吸さえも許さないように。 激しいキスに彼はいやいやと首を振るけど、全てを食い尽くすような口付けに次第に溶けて溺れていった。 「ぁ…っ、は、…んっ…」 強引に彼の口を開けて、艶やかで生々しい音を立てながら舌を絡ませ合う。 彼の甘い吐息と媚びるような舌使いにビリビリと脳が痺れて、頭が真っ白になっていく。愛する人とのキスに夢中になっていると、俺の首に彼の両腕が回ってぐっと引き寄せられた。 離れた唇の端からどちらのものかも分からない唾液がこぼれる。それを舌で掬うように彼の口内に押し込むと、こく、こくと喉を鳴らして、健気に唾液を飲み込んだ。 「…っ、ぁっ…、…俺だけの、だから…っ」 震える唇でそう言った彼の目尻に涙が浮かび、つー…っと頬を流れた。 「そうだよ?俺はお前のことしか見てない」 男も、女も。今まで付き合った誰にもこんな言葉を伝えたことはない。 だけど彼にはこんな言葉じゃ足りないことも分かっている。 言葉だけじゃ足りない。激しく肌をぶつけ合わないと彼は満足してくれない。 付き合い始めの頃は手を繋ぐのも恥ずかしがるような、ただ純粋で、従順で、健気な恋人だったのに。 だけど彼を変えたのが自分だと思うと底知れぬ興奮に包まれるのも事実だった。 「お前がいないと生きていけない」 射抜くように彼の瞳を見つめて、身に纏う服をたくし上げる。そして熱く湿った彼の肌に触れた。 ある若いふたりの恋の話
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