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過保護な恋人
「しゅうくん…おはよぉ…」
「葵、もう起きたの?」
「ん…おにぎり作る…」
「無理しなくていいのに」
「してない…」
「はいはい」
早朝5時。
朝早くに仕事に出る俺に合わせて葵も起きてくるようになったのはいつからだったか。
甘えん坊で俺が起こしに行かなきゃ絶対に起きれない子だったのに。
この部屋は葵の通う大学からも近いし、1限の授業がない日は朝はかなりゆっくりできるけど。
それでも葵は毎日こうして眠い目を擦りながら起きてきて、朝ご飯を食べないで出る俺を心配して健気におにぎりまで握ってくれる。
「はい、秀くん」
「ありがと」
「今日は早く帰ってこれる?」
「んー…昨日と同じくらいかなぁ」
不機嫌を隠すことなく、あからさまに不満顔を見せる葵に笑ってしまう。
仕事だから仕方ないだろ?なんて言わない。葵が怒っているのは俺を心配してくれているからで、それにこうして気持ちの全てが顔に出てしまう葵は子どもっぽくて嫌いじゃない。
「もう少ししたら落ち着くから。今は特別忙しいだけ」
「…それ、昨日も言ってた」
「そうだっけ?」
そうとぼけてみても今の葵には通用しない。
ぶかぶかのパジャマ姿のまま玄関でぷくっと頬を膨らます葵は本当に小さな子どもみたいだ。
仕事に行く親を引き止めて駄々をこねているような、そんな感じ。葵のお父さんやお母さんもこんな経験をしていたんだろうなぁ…。行きたくなかっただろうなぁ…と、ついそんなことを思ってしまう。
「できるだけ早く帰ってくるから」
「ほんと?」
「うん、ほんと。葵は今日授業午後からでしょ?まだゆっくりしてな?」
「うん…。…て、え?わ…っ、」
せっかく履いた靴を脱いで、おにぎりの入った鞄も置いて、俺より少し小さな葵の体を抱き上げる。
寝室のベッドにはまだふたりが眠っていた名残があって、その上にそっと葵を下ろした。
「まだ寝てな?」
上目遣いに見つめてくる葵の髪をふわふわと撫でる。
「ふふ、寝癖ついてる」
一箇所だけぴょんっと跳ねた寝癖。それまでも愛おしく思うんだから、本当に人を好きになるとは不思議なことだ。
「早く帰ってきてね?」
「うん、頑張る」
髪を撫でていた手を背中に回し、体をぎゅっと抱きしめる。温かい葵の体温。このまま抱きしめ続けていたらまた眠ってしまいそうだった。
本当は離れたくないけど体に鞭打って腕を解き、葵の顔を覗き込む。
不満顔もさっきよりは和らいだかな?ハグにはストレスを軽減する効果があると聞いたことがあるけど、それは絶対に本当のことだと思う。
「じゃあ行ってくるね?」
「うん…」
「葵は時間まで寝てなね?まだ怠いでしょ?昨日頑張りすぎちゃった」
「…っ、へんたい!」
「ふふ、はいはい」
「へんたいおやじ!」
「おやじはやめなさいよ」
乱れた夜を思い出したのか、きゃんきゃんと騒ぐ葵の頬は真っ赤に染まっている。その頬にちゅっとキスを落とせば、そこはますます赤みを増していった。
「じゃあ今度こそほんとに行ってきます」
「ん…。気を付けてね」
言いながらもぞもぞと毛布にくるまる葵に目尻が下がる。やっぱりまだ眠たかったんじゃないか。
玄関に向かうと置き去りにされた鞄がぽつんと寂しげに置かれていた。
その鞄を開けてすぐに目に入るのは、スプーンとフォークのイラストが描かれたベージュのお弁当袋だ。この袋は葵が選んだもので、デザイン的に女の人向けじゃない?と聞いたら、「それでいいの!恋人いるって会社の人に思われるでしょ!」と言っていたっけ。
「お。だんだん上手になってきてる…かな?」
袋の中には歪な形のおにぎりがふたつ。
初めて作ってもらったときはもっと形がガタガタで味もしょっぱくて、それはそれは酷いものだったけど、そのときに比べれば随分と上達している。
まぁ正直、味や形は二の次で、誰が作ったか、が重要なんだけど。
不器用な恋人が自分のために頑張ってくれている。それだけでどんなものでも美味しく感じるし、自分にとってはこのおにぎりがナンバーワンだ。
「…うん。今日も頑張れそうだな」
会社に行けば「今日も愛妻朝ごはん?」なんて同僚にからかわれるのが目に見えている。だけどそれさえも嬉しいだなんて。
ベッドの上の葵はもう、夢の中へ戻っているだろうか。
まだ温かいおにぎりを鞄に戻して、そっと玄関のドアを開けた。
ファーストラブ
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