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田上に案内され、朱里は席についた。鞄から封筒に入れた書類を取り出し、向かいに座った松田と田上の前に並べる。
「それでは、これより説明に入らせて頂きます。まずはYA産業様の現状についてお窺いしたいのですが……」
流れるような口調で朱里は説明を始める。段取りは電車の中で入念にシュミレーション済みだ。まず先方のニーズを丁寧に聞き取る。どんな困り事があり、どんな解決方法を求めているか。その上で弊社の商品を提示し、それがいかに問題解決に資するものかを説明する。押しつけるのではなく、あくまでソフトに。
松田と田上は、最初はいかにもやる気のない顔で説明を聞いていた。だが、開始して10分も経つと身を乗り出して、朱里の用意した資料を具に点検し始めた。松田からいくつか質問があったので、朱里は資料のページを示しながら明瞭な口調で答えた。松田はほほう、と数回息を漏らした後、田上と小声で何かを相談し始めた。朱里は手応えを感じながら、微笑みを絶やさずに相談が終わるのを待つ。
2、3分話し合った後、2人は一斉にこちらを振り向いた。松田が代表して口を開く。
「いや、意外でした。保険なんてうちの会社には必要ないと思ってましたが、こうして見ると加入のメリットも大きいんですな」
「はい。先行きが不透明な時代だからこそ、非常時への備えが企業の命運を決すると言っても過言ではありません」
朱里はきっぱりと言った。松田は田上と再度視線を交わした後、もぞもぞと尻を動かしながら言った。
「ただ、実際に契約するとなると、うちの課だけで決めるわけにもいきませんから、正式なお返事は後日でも構いませんか?」
「もちろんです。もし追加でご説明が必要でしたら、そちらに御連絡を頂ければいつでも対応致します」
朱里は微笑みを浮かべて松田の前に置かれた名刺を指し示した。即断を迫ることはしない。敵ではなく、問題解決に助力する支援者だという認識を持たせるために。
松田は朱里の名刺に視線を落とした。机の上に置いたっきり一顧だにしなかった名刺。商談が終われば即座にシュレッダー行きとなるものも少なくないが、この名刺はおそらくその末路を免れるだろう。
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