失われた微笑み

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 27歳になった落合朱里《おちあいあかり》は、ビルの建ち並ぶ街の一角を歩いていた。クリーニングに出したばかりのダークグレーのパンツスーツに身を包み、スーツの下にはアイロンの当てられた水色のリボンブラウスを着込んでいる。足元にはヒール5センチのベージュのパンプスを合わせ、A4対応型の葡萄(えび)茶色のバッグを肩からかけている。背中まで伸びたストレートの髪はほんの少しだけ茶色く染められ、顔には好印象を与えるような薄いメイクが施されている。ヒールの音を響かせ、髪をたなびかせて颯爽とオフィス街を突っ切る姿は見るからに有能そうだ。  ビルの合間からわずかに見えるのは蒼天。赤く燃ゆる空にはまだ早い。だが朱里は空には露ほども注意を払わず、迷いのない足取りで目的地へと向かっていた。  それは彼女の周りを行き交う人々も同じだった。誰もが忙しなく、苛立ちや焦燥、あるいは緊張を漂わせて足早に歩を進めている。彼らが空を見上げるのは、碧空を覆う厚い雲に雨の予兆を感じるか、その予兆が現実のものとなり、容赦なく降りしきる驟雨(しゅうう)に眉を顰める時くらいだろう。  それは社会ではごく当たり前に見られる光景だった。夕空を見上げて心を焦がしていたのは、砂漠のような心の渇きを知らず、空の向こうにある明日に希望を見出し、再び太陽が昇る未来があると信じていた学生時代くらいなものだ。
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