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父や祖父、それ以前のご先祖様がどうだったかは定かではないが、少なくとも父は、悩める人を前にどんな亡者が見えるから、ああせい、こうせいなどともっともらしいことを言っていた。見えていたのかいないのかよりも、年相応の貫禄がそうさせていたというところが大きいようにも思える。
だが、まだ三十路にも達していない、若造の慈光には、当然、貫禄のかの字もない。ただ、太っているだけである。そうなると、実力で勝負となるわけだが、何にも見えない感じないのでは、せっかく寺に伝わるありがたいお経やお札も、どう使ってよいものやらわからない。そこで苦肉の策をうつことにした。見えるモノに見てもらえばよいのだ。
慈光の幼馴染である倉木総一郎、彼はいわゆる見えるモノであった。幼い頃から他の人には見えない何かをはっきり見ることができた彼の特殊能力を知るものは、総一郎の家族以外にはこのナマクラ坊主の慈光とその家族だけである。
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