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「何、お前、この店、来たことあんの?」
「あ、いや……まぁ」
虎の声が普段より、ずっと低い。これはもう……頷くしかない。
「へぇ?俺、何度も誘ったよな?誰かを誘ってフラれた俺の敗率、お前が一人で上げてくれてんだけど、どういうワケ?面白くねぇわ」
面白くないのは俺の方だ。何だよ、女は面倒で?一人では入りにくいから手近なところで俺を誘ったって?ハッ、嘘でもいいから俺と来たかったって言えよ。……いや、言うわけないか。そういう御機嫌取りみたいなの、わざわざ男にするようなヤツじゃないもんな。
ミミちゃんが困った顔をしている。何か声をかけてあげなくちゃ……。
「えっと、注文していいですか?俺はミルフィーユとダージリン。虎、お前は?」
「あぁ……。じゃ、季節のフルーツタルトとブレンドコーヒー」
「相変わらず、期間限定に弱いな、虎は」
「うるせーよ」
ミミちゃんは笑いたいのを堪えるように奥歯を噛み締めているのだろう、僅かに口角を上げてペコッと頭を下げると、まだ何か用事が有りそうなソワソワした表情で俺を見、去って行った。そして一度振り返って、また背を向けた。……何だ?
「ちょっと、待ってて」
と、言いおいて席を立つと、虎は「は?」と不機嫌丸出しの声を上げたが、構わず俺はカウンターの向こう側にいたセイさんにミミちゃんを呼んで貰うよう頼んだ。すると、セイさんはニヤリと意味深に笑う。
「カレシ?いい身体してるよね」
「やめて下さいよ。こんなはずじゃなかったんだけど、アイツが……」
「隠しておきたかったんだ?」
「……すみません」
「どうして謝る?ま、折角来たのだし、ゆっくりしてってよ」
「えっーと、日暮れまでには……」
「あははは」
日が暮れると知り合いに会う確率が高くなる。冗談じゃない、さっさと店を出なくちゃ。
そんな俺の心中はセイさんには隠しようが無く、笑われてしまった。
「さっきミミがね、キミの泡食った顔を初めて見たって。私も見たかったな」
「面白がらないでくださいよ」
「あははは、ごめんごめん。あぁ、ミミが来た」
散々揶揄われて、顔を熱くしていたところへミミちゃんが奥から出てきた。
「お待たせしました、何ですか?」
「いや、それ、こっちの台詞なんですけど。さっき、何か言いたそうでしたよね?」
「あ、いえ。お友達以上の関係かなぁ?と思って……。す、すみませんっ」
ガクッときた。そうか。単なる好奇心だったのか。
「えっーと、たぶん、そうなんだと思います」
「たぶん?」
どういう意味?という顔をしたミミちゃんをセイさんが咳払い一つで制した。
「無粋だねぇ、ミミ。ほら、仕事に戻って」
「はい!」
ミミちゃんは学生時代からセイさんに憧れていて、ずっと追い続けてきたと聞いたことが有る。
初めから両想いだったのか、それともミミちゃんの粘り勝ちだったのか、それこそ無粋と言うものかと自嘲気味の薄笑いが零れた。
「あ、艶夜さん。これ、お借りしていた本、凄く面白かったです。お返しするのが遅くなってごめんなさい。有難うございました」
ミミちゃんから受け取ったのは、俺が貸していた推理小説。前に、この店で読み耽っていたところをミミちゃんが興味を抱いて貸してあげた。
「面白かったなら良かったです」
「良かったら、また夜にみえた時に感想を語り合いませんか?」
「いいですね、是非」
女性と話すのは不得手だが、この二人とは長年の付き合いで多少、気心が知れている。良識のある大人という点でも、俺の中で女性に対して億劫に思う度合が他の女性たちとは違うみたいだ。ミミちゃんは、次は自分のお薦めの本を紹介させてほしいと微笑んで、俺に少し顔を寄せると小声で言った。
「あの……さっきは余計な挨拶をしてしまったみたいで、ごめんなさい。カレシさん、大丈夫ですか?怒ってたみたい……」
「気にしないでください。アレは、ああいう顔なので。ただ『カレシさん』は……」
「あ、はい!気をつけます。ごめんなさいね。それじゃ……」
ミミちゃんは頬を紅潮させてパタパタと厨房の奥へ入って行った。
可愛いな、やっぱり。俺が女で、あんなふうに素直で可愛かったら、虎は『お前と来たくて誘ったんだ』と、言ってくれるのだろうか?また、そんなことを考えて、俺はバカかと内心、毒づいた。席に戻ると、テーブルに片肘ついて不足そうに俺を見上げる虎と視線がぶつかった。
「仲良さそうじゃん。あれ、何?」
「何って?知り合いに挨拶をしただけだよ」
「ちっ、開き直りやがって。何で隠してたんだよ?」
「まだ、言ってるの?別に言いそびれていただけだし、しつこいと帰るよ」
虎は未だ子供みたいに拗ねている。
ケーキを運んできてくれたのはセイさんだった。
厨房に余裕が出来ると、彼女もフロアに出て来ることがある。カップルで訪れた男性客よりも女性客の眼が一斉に輝く光景は見ていて何だか複雑だ。立ち居振る舞いの品の良さ、手際の良い仕事ぶり、軽妙洒脱な話術、何一つ取っても完璧で「お待たせしました」と言う声は女性にしては低く落ち着いた印象だが、優雅で媚びたところがなく凛としている。この声がミミちゃんを呼ぶ時だけ、蕩けるように甘美に響くのを俺は何度か聞いたことがあった。
「うっ……わ」
目の前に出された皿を見て、虎が声にならない声を上げる。心なしか緊張して行儀よく手を前に揃え、身を固くしたまま前傾姿勢でいるのが可笑しい。笑いたくなるのを喉奥で堪えると、物凄い眼で睨まれた。何だコイツ、可愛いじゃないか。
セイさんはケーキの紹介をしながら手際よくテーブルを花畑に変えていく。その間にもちゃっかり、虎の容姿や性格を見抜いて行こうとするんだから抜け目がない。
「旨そうだね」
虎に話しかけながらチラッとセイさんを見ると、おどけた調子で明後日の方向を見て誤魔化した。本当に、この人はもう……。
「では、ごゆっくり」
会釈して去るほんの一瞬に彼女が俺に微笑み掛けた気がした。
ケーキにはアイスクリームと果実が添えられていて、キャラメルソースで飾り付けがされている。アプリコットの甘い香りが虎の方から漂ってきて、彼は皿に見蕩れていた割には迷うことなく、サクッとフォークをケーキの真ん中に突き刺した。
「すげぇな、女が群れるの分かる気がする。これはトキめくわ」
通路を挟んで向こう側の席に座っていた女性二人が同時にこちらを見て、何事が笑いさざめいている。虎はケーキにトキめいているのだが、セイさんにトキめく女性客の多いこの店では誤解を招きそうで慌てて取り繕った。
「男がケーキにトキめくもないだろ?確かに女性パティシエの繊細さを感じるけどね」
「旨!やべぇ、ハマる……」
俺としては、あまりハマって欲しくないんだけど……。虎は女性たちの視線に全く気付いていない。そもそも気付いたところで、何とも思わないような男だ。
「なぁ、さっきの背の高いオネーサンがパティシエ?俺に興味あんのかな?結構、見られてた」
は?隣の視線に気付かないのに、セイさんの頭上からのチェックには気付いてたって?
「お前、自意識過剰なんじゃないの?」
「んなこたねーって。頭のテッペンから足の先までチェックしてったし。俺、そーゆーの判んの。ま、年上オッケーだし、こんな旨いケーキ作れる人なら悪くねーなって思うけど」
「……」
「それとも、あれかなぁ?案外、お前に気が有って恋敵を吟味して行ったとか?」
「その発想は無いだろ。どうして、彼女が虎を見て恋敵と思うんだよ?」
言ってすぐに後悔した。虎の勘違いも甚だしいが、必死に取り繕うとしている自分が酷く滑稽だ。下手なことは言わずに聞き流せば良かった。
「どうしてって俺が、お前に食らった疎外感を隠していないから。で、あーゆー長身のクールビューティーは案外、中身が乙女だったりするから。パリッと男風情でキメていたって内心じゃフリフリの可愛い服とか憧れているワケ。だから、いかにもバカぶってる俺みたいなのより、お前みたいな物静かで知的なタイプを好むんだよ」
疎外感?それって嫉妬したと言いたいのだろうか……?
それよりも微妙に当たっているのが怖い。セイさんは颯爽とまるで紳士のように振舞いながら、実は花を好み、可愛い雑貨に喜び、ミミちゃんと雑誌を見ながらキャーキャーと楽しげにガールズトークをしているようなところがある。そんな女性的な彼女だからこそ、この繊細なスイーツであり、行き届いた客へのもてなしなのだと俺は思っている。
「ふぅん?虎のバカは『ぶって』ただけなのか、へぇ……」
どうでも良いことのように受け流すと、虎はチッと舌を打って、こう言った。
「お前は、どうなんだよ?ターゲットはどっち?オネーサンとも親しげだったし、あのフワフワロングヘアのカワイコちゃんとも、いい感じだったしさ」
それ、本気で言ってるのか?無神経にも程がある。俺はコイツの何だ?コイツは俺の何なんだ?また、同じ問答を繰り返す。
「そんなふうに考えたことはない。店員と客、それだけだ。ミミさんには貸した本を返して貰っただけ。彼女の方が年上だ。言葉に気を付けろ」
「げ。あのフワフワ、年上?ミミさんとか呼んじゃうんだ。随分、親しいんだな」
「怒るぞ」
「もう、怒ってんじゃん。折角、旨いもん食ってんだからさ、もっと楽しそうに食えよ」
誰が、こんな顔にさせるんだ!
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