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繁華街の喧噪を逃れた先に高級料理店の並ぶエリアがある。
その勿体ぶったエントランスをいくつか数えて裏通りへ折れると、雰囲気は一変、リーズナブルな歓楽街と言おうか、小さな定食屋やビジネスホテル、海外からの観光客に利用の多い宿泊施設などが密集する。古くは同性愛者の集まる町で、ゲイバーなども多かったらしい。人目を忍んだセクシュアルマイノリティーたちが、ごくありふれた雑踏にコミュニティーを築き、息づいてきたのだろうと誰かが言っていた。赤青白の三色の縞模様がクルクル回るサインポールが、今も残るシックな理髪店。少し先にはポッカリと緑に囲まれた神社や寺があって、俺、四室艶夜は時折、砂利を踏みしめ静かな境内を歩く。そんな空気に馴染んで、もう七年になる。
その一角に隠れ家のように通い続けるカフェ&バー『Comme je suis』があり、時折、一人で寛ぐ時間を大切にしてきた。店名は『自分らしく』という意味らしい。最寄り駅からは遠いし、そう便利な立地とも思えないけれど人気がある。昼はバランスの良い美味しいランチで会社員や専門学校生らが集い、ティータイムには評判のスイーツを求めて遠方からも客足が絶えることはない。店内は木目の美しい床に温もりのある北欧家具のテーブルと椅子が絶妙な間隔で配置されている。甘すぎない色調のクロスや小さな硝子の小瓶に差した草花、シンプルで使い勝手の良い食器、ソファ席の傍にはブックシェルフがあり、置かれている本や雑誌までもが趣味の良さを感じさせる。男装の麗人と噂されるパティシエ兼バーテンダーの店長セイさんと、フロア担当のミミちゃんの愛らしくて気持ちのいい接客が更なる評判を得て、客は増える一方だ。そして、夜ともなれば店は表情を変え、一般客に交じってゲイや女装家など様々な性癖を持つ人々が集うコミュニティーの場となり、実のところセイさんとミミちゃんが、いわゆる、そういう関係であることも俺は知っている。
何故って?……まぁ、そういうコトだよ。
「艶夜、ちょっと寄り道して行かね?」
バイク部品などを扱う店の紙袋を提げた虎が、窺い口調の割には既に決定事項のように大通りを斜めに横断していく。珍しく休日が重なって昼まで虎の狭いベッドでダラダラし、遅めの昼食をと繁華街に出て来た。出て来たなんて大層な話でもない。俺たちの住む家は、ここから徒歩圏内の小さな町にひっそり建っている。ハンドメイド雑貨の店や古着屋、ギャラリーやカフェ、知る人ぞ知るフレンチの店などがあって近頃、人気のエリアだ。方々に伸びる細い路地を入っていくと、そこだけポツンと切り取られたような小さな公園や古い民家があって味のある町だ。高校を卒業して美容師の専門学校へ進んだ虎が先に就職し、数年後、どういう経緯か年代物の一軒家を手に入れ、古いアパートを引っ越した。そこへ大学を卒業したあと俺も暮らすようになって、もう五年になる。
「虎。寄り道って、そっちは飲み屋街だろ。俺は今日は飲まないよ」
「やらしーなぁ、誘い文句のパラドックスか?お前、酒が入るとチョロイもんな。飲まないと言えば俺が余計、飲みたがると思って言ってんだろ。ホントは今夜もオレを御所望だったりする?」
カッと熱くなって饒舌な虎の尻を叩いた。
いやらしいのは、どっちだ!酔うと大胆になるらしい俺の酒癖を揶揄って、虎は『今夜も抱かれたいのか?』と笑ったんだ。
「そういう意味じゃない。まだ、四時過ぎだし、飲む気分じゃないと言ったんだ」
そうは言ったが本心は少し違って、俺は確かに今夜を懸念して守りに入ったのだ。
すると虎は、まるで俺の本心を見透かすように笑ってこう言った。
「わかってるって。ゆうべは朝までヤりまくったし、俺ももうムリ。そうじゃなくてさ、この先の店、ウチの山崎いわくこの時間が穴なんだって」
「穴?」
「お前が言うと何か卑猥だな」
迷わず二度目の尻叩きを食らわせた。
山崎さんは虎の勤めるヘアサロンの後輩スタイリストだ。職業柄か性格か流行りものに敏く、新しいもの好きの虎とは気が合うらしい。虎も情報通で、新聞はもちろん女性誌や情報誌にも広く目を通すし、常にアンテナを張っている。
「艶夜、そこを左。何度か前を通っているけど、いつもスゲェ列を作ってて……お?」
急に速足になった虎を追って角を曲がり大通りへ出ると、見覚えのある店が見えた。『Comme je suis』だ。しまった。こんなルートが有るなんて知らなかった。バイク乗りの虎は方向感覚が優れていて、裏道にも精通しているんだ。
「今なら、窓際の席を御用意できますよ」
と、客を案内をしていた店員に声を掛けられ、引き返せない雰囲気になってしまった。ミミちゃんだ……。俺に気付くと「あ!」と花が開くような笑顔で会釈をしてくれたけれど、俺は思わず伏目になった。虎は、それには気付かなかったようだ。この、人目も何も気にしない無頓着な男が珍しく店内を覗きながら、
「やっぱ、男の客って少ねぇの?出来れば窓際じゃない方が良いんだけど」
なんて、ミミちゃんに尋いている。俺はそれを聞いて咄嗟に、
「いや、窓側で!」
と、早口に伝えていた。奥へ入れられる方が周りを女性に囲まれてゾッとする。痛い眼に晒されながら、男ふたり顔を突き合わせてケーキもないだろう?ミミちゃんは、そんな俺の内心など御見通しとばかり上目遣いでクスッと笑った。
席に案内されて虎は納得したらしい。窓側の席は庭木が死角になって、外から見られることが無いのを俺は知っていた。虎は特に変に思うでもなく、
「お前、よく見てるよな」
なんて、テーブルにつくなりメニューを広げている。
「この店、入ってみたかったんだ。ウチの客にもファンが多くて、特にパティシエの手作りケーキが旨くてリピーター続出らしいぜ。やっぱ、流行りは押さえときたいし?」
それ、前にも聞いたよと内心、呟く。
虎が前々から来たがっていたのは知っていた。知っていたも何も何度も誘われて、そのたびにはぐらかしてきたんだ。虎とは恋人関係?……なのだと思う。けれど俺は自分がゲイだと未だカミングアウトできないでいるし、隠しておきたかったんだ、ここの常連だってこと……。
「そんなに来たかったなら、誘う相手はごまんといただろうに……」
ウッカリ声に出してしまった俺に、虎はメニューを寄越しながら苦笑った。
「面倒だろ?」
「何が?」
「女、誘うと、私も私もってなるのメンドーだろ?」
ふぅん?恋人としては何て失格な答えなんだ。俺はコイツの何だ?
そんなことを思って、思った自分に嫌気がさした。誘おうと思えば幾らでも相手はいる。わざわざ男の俺とツルまなくてもノンケの虎は女の子とフツーにデートを楽しめるはずなんだ。現に俺と喧嘩にでもなれば、不貞腐れて平気で女性の元へ慰めて貰いに行くようなヤツだ。大体、聞いたか今のデリカシーの欠片もない言葉。俺を好きだ好きだと抱くくせに、引く手あまたのモテっぷりが面倒だと?世の男の敵、ゲイの敵だな、お前は……。
そんな頭の中のモヤモヤを一気に丸めて鉛玉のように俺の胸深くへ沈めたのは、水の入ったグラスを運んできたミミちゃんの一言だった。
「お昼間にみえるの珍しいですね。今日はお友達と御一緒ですか?」
声も出ない俺を虎が訝し気に見ている。
背中向こうから近づいてくるミミちゃんの気配に、まるで気付かなかった。
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