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22拍の真実
「どうして?」
大翔が訊ねると、遠藤は遠くを見ながら答えた。
「あの日のことは今でも覚えている。あの日のメイン練習は50mを10本、2分サークルだった。休憩時間が長い分、全力で泳がないといけないメニューだったよな?」
大翔は無言で頷く。
「その中で大翔のタイムは35秒1。あれは大翔が明らかに全力で泳いだら出ないタイムだ。あのときの大翔の心拍数はだいたい10秒で22拍。本当なら30近くまで追い込まないといけないメニューでその強度だったら、手を抜いていると見られても仕方ないよな?」
「どうしてそこまで分かるの?」
大翔の問いかけに対し、遠藤は笑ってみせた。日頃厳しい檄を飛ばし続けた遠藤がなかなかみせない笑顔だ。
「選手コースを任されてからずっと、受け持った奴らのタイムは全部把握している。そしてそれはベストタイムだけじゃない。持久系のメニューのときの平均タイム、ダッシュのときのタイム、耐乳酸系の厳しいメニューのときのタイムもだ。そしてそのときの心拍数も全部記録に残している。もちろん、大翔のタイムも、心拍数もだ。大翔が辞める2ヶ月前の第1週の水曜日。メニューは50m30本、1分サークルの持久系メニュー。そのときの大翔の平均タイムが35秒2で、練習後の心拍数が10秒で22拍だった」
大翔は思い出していた。遠藤は練習のときこまめに心拍数を測らせ、その都度バインダーにペンを走らせていた。
「全力を出して遅いのは仕方ない。でも本当に頑張らないといけないときに全力を出さない癖がつくと、人間は楽な方に流れてしまう。水泳は昨日の自分との闘いだ。追い込まれたときにこそ真価が問われる。そして全力を出さない癖がついてしまったら、それは将来的に受験勉強にも、仕事をする上でもついて回ってきてしまう。上位の大会への切符やきれいな色のメダルなんてものは、自分と闘い続けた結果ついてくるものでしかない」
「でも、どうして僕よりずっと遅かった賢二がここまで速くなったの?」
「2つある。1つは賢二が全力を出して練習を頑張ったことだ。あのときのタイムは40秒を超えていたが、賢二の練習後の心拍数は10秒で31。全力を出し切らないと出ない数字だ。賢二は毎回全力で水泳と向き合っていたからな。そしてもう1つ。大翔、賢二の今日の姿を見て何か感じなかったか?」
大翔は記憶を巡らせたが、そこまでおかしなところはなかった。強いて言うなら、賢二の姿がとても大きく見えたことくらいで……。
ーーあ、もしかして!
大翔が目を見開いたところで、遠藤は頷いた。
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