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その日大翔はスクールを辞めた
塩素の匂いがほどよく漂い、水をかきバタ足を打つ音が響き渡る中、エーススイマーズクラブ選手コースのコーチである遠藤の荒い声が響き渡った。
「大翔35秒1。雄介36秒4。賢二40秒9。おい大翔!お前上がれ!」
大翔はコーチである遠藤に言われるままプールサイドへと上がった。本来であれば練習の最中にプールから上がるよう指示されることは稀である。しかし大翔がこうやってプールから上がるよう指示されるのは今月でもう3度目。そしてこういうときに何が起こるのか、大翔は十分すぎるほど理解していた。遠藤は手元のバインダーを置いた後、近くにあった用具入れ用のかごからプルブイを勢いよくつかみ取り、大翔に向かって投げつける。そしてそのプルブイは大翔の頭に命中し、プールサイドに無造作に転がった。
「おい大翔。遅すぎるぞ。やる気あんのか?」
遠藤が目を吊り上げる中、大翔は不服そうな眼差しを遠藤に向けた。
「なんだその目は?」
無言を貫く大翔に向かい、遠藤がそう説いただした。しかし大翔は口を真一文字に結んだままだ。大翔は小学5年生で、雄介は中学1年生。2学年下なうえに、雄介が泳いでいるのは背泳ぎではなくクロール。圧倒的なハンデキャップだ。そんな中で雄介より1秒以上も速いタイムを出しているのにここまで言われないといけない理由が大翔には分からないでいた。賢二は大翔と同じ小学5年生であり、スタイルワンも大翔と同じ背泳ぎ泳だがタイム差は5秒以上。それなのに遅いと怒られるのは大翔なのだ。
憮然とした表情の大翔を尻目にスポーツタイマーに目を向けた遠藤が口を開く。
「はい5本目、赤い針が60に来たら行くぞ。用意、はい!」
遠藤がストップウォッチのボタンを押し掛け声をあげた。それとともに成美と賢二が勢いよく壁を蹴り、水をかいて前へと進んでいく。遠藤は再び大翔のほうを向いた。
「で、どうなんだ?」
遠藤が大翔に問いかけた。しかし大翔は変わらず無言を貫いている。
「もういい!」
遠藤はそう怒鳴りつけると、今度はビート版を地面に投げつけた。プールサイドに打ち付けられたビート版がパン! という大きな音を立てた。
「大翔、もう帰れ!そしてやる気がないなら辞めちまえ。二度と来なくていい!」
「……わかりました。帰ります」
大翔はそう言うと、水筒とビート版とプルブイ、パドル、フィンを全てまとめ、更衣室へと歩き出した。
「弱虫!」
大声を発する遠藤の方を振り返ることなく、大翔はプールをあとにした。
大翔がエーススイマーズクラブに退会届を提出したのは、この4日後のことだった。
「辞めるのか。まぁ、好きにしろ」
遠藤はそう言い、大翔を引き留めることはなかった。
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