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大人には分かんない感性だの、新しい世界を切り拓くだの意気込んでいたのに、業界に飲み込まれそうで、俺はイラついていた。
デビュー直前なのに、楽しめない理由がある。
「休憩しない? 俺、トイレ」
雅美が音を上げた。ギターを置いて出ていく。
事務所のスタジオは、1時間いくらで借りてたスタジオと全然違う。集中して「もう1回」を繰り返し、メンバーを疲れさせてしまう。
ふぅ、と隅のソファに座ると足音が近づいてきた。
ドラムの智春、通称トモだ。
「明、これ」
目の前に紙コップ。俺の喉を気遣ってのものだろう。
ふわ、と香りが漂う。タバコを吸うトモに、俺があげた香水だ。深緑の森を思わせる香りは嫌いじゃなかったが、俺はイラついていた。
「トモ、お前こういうのいいからしっかり叩いてくれよ」
「……ごめん」
イライラの原因、一つはトモだ。
ラストのサビ前の叩き出しが遅いミスを連日続けている。テンポもずれる。集中力がない。
「……トモ、ちゃんと眠れてるか?」
蓮司さんが優しく声をかける。
「あんまり……寝ようと思ってもいろいろ考えちゃって」
「デビュー前でナーバスになってるんじゃないか? 今日はもう切り上げるか」
「いいよ、明もまだやりたいでしょ、やるよ」
イライラする。
「俺できるまでやるよ!」って熱くなればいいのに、トモは俺に気を遣う。話し方もふにゃふにゃと柔らかい。
「俺が無理矢理付き合わせてるみたいな言い方すんな。叩けてないお前が悪いんだろ」
「ごめん……」
「おい明、そういう言い方はないだろ」
「んだよ、蓮司さんまで」
俺はそのまま立ち上がる。
「どこ行くんだ」
「トイレ!」
重い扉を開け、スタジオを出た。
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