多分だけど、幸せになる資格がなかった人の、最後の1日

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「よろしくお願いします」 頭を下げて、席についた。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 「うんちぶりっ!」 「ちょっと男子!やめなさいよ!!」 クラスの女の子に叱られ、そそくさと逃げていく男の子。 「大丈夫?ぶーちゃん」 「うん、ありがとう」 私の名前は田中(たなか)愛する汁と心の起立(ぶりぶり)。今日で21歳になる。 なんともふざけた名前に見えるが、れっきとした私の名前であり、戸籍であり、私である。 私が生きた証を、私が生きた証としてここに記す。 3歳 物心ついたときから、私は一人だった。 覚えている最も古い記憶は、人混みの中を歩いている記憶。 多分、母親を探してた。今となっては顔も覚えていないけど。 誰が拾ってくれたのかも、どんな顔だったかも覚えてない。 ただ、私は拾われた。それだけ。 5歳 保護施設。 サイアクの思い出。 クソ議員の趣味で立てられた、クソ議員の性欲処理施設。 当時仲が良かった男の子の所に遊びに行った。 「レンくん、いる?」 言いながら、私は扉を開けた。 レンくんは、あのクソ議員のをしゃぶっていた。 そりゃ、びっくりした。びっくりして、頭が真っ白になって、そのまましばらく固まってた。 優しいおじさんだと思ってた。 たまに施設に来て、絵本をみんなに読み聞かせてくれたおじさん。あいつはその声で、私に怒鳴りつけた。 何がなんだかわからないまま、殴られた。頭をランプで殴られたときは、死んだかもって思った。 死にたくなければ黙ってろって。言えるわけないよね。5歳だったし。 7歳 小学校に行った。 あの施設は、当然の事ながら潰れた。……ん、潰された?もうよくわからないしどうでもいい。 とにかく私は、新たな施設に行って、そこで新しい両親に迎えられ、小学校に通うことになったのだ。 「この問題がわかる人〜、えっと……、田中さん」 「えっと……」 「答えは3だよ、ぶーちゃん」 そう、教えてくれたのがスミレだった。 小学校は楽しかった。 たまに男子から嫌味を言われることもあったけど、そういう時は、必ずスミレや他の子が助けてくれた。 多分、恵まれてたんだと思う。 彼女は、私をずっと守ってくれていた。 「うんちぶりっ!」 「ちょっと男子!やめなさいよ!!」 スミレは私の事をぶーちゃんって呼んでくれた。スミレからそう呼ばれるのは嫌じゃなかった。 なんの偶然か、私は彼女と小学生の間ずっと一緒のクラスだった。 この頃、私は少しだけ人生に希望を見出していた。 そんなもの、なければよかった。 13歳 中学生。 思春期に差し掛かった私は、本気で自分の名前が嫌になっていた。 「呼び方変えたほうがいいかな?」 そう、スミレにも言われた。 スミレだけは、嫌な気がしなかったけど、特別視するのも周りに説明するのも面倒だった。 「わかった、じゃあリリちゃんって呼ぶね!」 スミレはこの呼び方をいろいろな人に伝えた。もちろん、元々私をからかっていた男子にも。やっぱり私は恵まれてるんだって思った。 「田中さん、あの頃はごめん」 当時私をからかっていた男子。 「いいよ、もう」 中学2年の頃、私は吹奏楽部、スミレはテニス部のエースだった。 スミレは吹奏楽部のコンクール会場に来て、私達の演奏を聞いてくれた。もちろん私もスミレの試合を見に行って、一生懸命応援した。私達のコンクールは予選止まりだったけど、スミレは2年生なのに県大会に出場した。 惜しくも、県内4位で全国には行けなかったみたいだけど。 その日の帰り道、一緒にアイスを食べに行った。 「頑張ったよ、スミレは」 「リリちゃん」 言いながら、スミレは徐々に目に涙を貯め始める。 「……うわーん」 私の話ができる状況ではなくなった。私はスミレの背中を、ただ黙ってさすった。 12月 冬休み前の事。 「ねえリリちゃん、もしかして彼氏とかいる?」 「え?」 いるわけない。首を横に振る。 「よかった、クリスマスイブの日、私の家に来ない?」 胸が高鳴った。ドキドキが止まらなくて、心臓がはちきれそうだった。 「皆でパーティーしようよ!」 まあ、それでもいいって思って。私は楽しみだった。 当日 皆で食卓を囲み、フライドチキンを食べる。 今思えば粗末なパーティーだったが、それでも私は楽しかった。 「じゃあ、プレゼント交換しよ!」 皆が、各々持ってきたプレゼントをバッグから取り出す。 当然ながら私も持ってきた。青いリボンの髪飾り。 ……スミレに届くといいな。 私の元に来たのは、当時はやっていたキャラクターのバッグだった。 「あ、リリちゃんのやつ私のー!」 可愛らしい丸メガネが似合う山根さん。 「ありがと!大事にするね!」 今でも化粧ポーチとして使ってる。普通に便利なんだ、これ。 で、私のリボンの髪飾りは……? 「かわい〜、これ、リリちゃん?」 陸上部で、高身長、鍛えられた太ももがグラマラスな春野さん。 「うん!そう、でも春野さん似合うかな〜」 「ええ〜!ひどい!」 笑いながら頭につける春野さん。 正直めちゃくちゃ似合ってた。多分スミレより。それがちょっと悔しくて、一人で勝手にふてくされてた。 「みんな寝ちゃった」 外でイルミネーションの明かりをぼーっと眺めていた私に、スミレが声をかけてきた。 「早いよね、まだ1時なのに」 しばらくの静寂の後、スミレが口を開く。 「私ね、ほんとはさっきのプレゼント交換の時、リリちゃんに行ってほしかったんだ」 ドキッとした。 「あの、スミレのプレゼントって?」 「山根さんの、ワンピース」 山根さんが受け取ってたワンピース。 「あ、あんなにかわいいワンピース……、山根さんじゃなきゃ似合わないよ」 「……それもそっか」 言いながらスミレは笑った。 私は、今が人生最大の山場だと腹をくくった。だって、いい雰囲気だったし。 今行かなきゃ一生行けないと思った。今でも、これだけは間違ってなかったと思う。思いたい。 変な事かもしれないけど、と前置きして。 「私ね、スミレの事が好きなんだ」 そこからの事はあまり詳しく覚えてない。 ざっくり覚えてるのは、スミレと手を繋いで、しばらく一緒に夜中の河川敷を歩いて、キスをした事。 とても幸せな時間だった事。 15歳 私を育ててくれた、育ての親には感謝してる。 実際、お父さん、お母さんって呼んでた。 でも、クソみたいな形で裏切られた。 最初は少し変だと思う程度だった。 15歳にもなって、未だに父親と一緒に風呂に入るって。 それは突然だった。 寝ようかと思ってベッドに横になったとき、突然あの父親の皮をかぶったゴキブリが私の部屋に入ってきた。 「どうしたの、お父さん」 私は眠い目をこすりながらそう聞いた。 お父さんは、突然私に覆い被さって、私の口を塞いできた。 「そういう事なんだろう?」とか、「風呂では見てる」とか、意味分かんない。 ただ、非力な私には抵抗する事も難しい。 臭くて汚くて吐き気がした。 あの頃、レンくんがされていた事を思い出していた。 私は女だから、これの何がいいのかわからない。 苦しいし、痛いし、怖いし、女の私にとってこれっぽっちもメリットなんて感じない。 そんな事が、無性に悔しかった。 週に3回くらい、そんな日があった。 拒んだら、追い出される。そう思った私は、それを受け入れるしかなかった。 本当は嫌だったけど、そうしないと生きていけないと思ったから。 この時、スミレとの関係はまだ続いていた。続いていたけど、言えるはずもなかった。 そんな事が何度もくりかえされたら、お母さんにも当然知られる。 正直私は助かった、と思ったが、どうやらお母さんは違ったみたい。 「あんたなんかいなければよかった」 こういう時、思春期の男の子とかは「産んでくれなんて頼んでねーよ」とか言うって、本かなんかで読んだ。 全部あいつが悪いのに。私は何も悪くないし、多分お母さんも何も悪くない。 だから、私は何も言い返せなかった。 私は結局、また施設のお世話になる事になった。 16歳 小さな頃仲が良かったレンくん。 施設でまた会えると思ってたけど、レンくんは変わっていた。 「お前、女同士で付き合ってるんだろ?スミレってやつ。気持ちわりー」 最低な人間になっていた。 「スミレの学校にも俺の仲間がいるんだよ。スミレ、どうなっちゃうかわかんないよ?」 スミレをだしに脅された。私はレンくんに従うしかなかった。レンくんに襲われ、してる最中に写真を撮られた。 「写真、スミレに見られたくないだろ?」 写真を取られて脅されて、また襲われた。 「こいつ、何しても逆らえないから。好きにやっちゃっていいよ」 携帯を構えてそういうレンくん。 「食えよ」 そう言って、口にねじ込まれる雑巾。 知らない男が、次々と私に覆い被さった。 汚物まみれの中で、私はただ時がすぎるのを待つしかなかった。 当然だけど、スミレには言えなかった。 「なにか隠し事してる?」 「ううん、なにも」 「そっか」 でも、スミレは見抜いていたみたいだった。 「言える時が来たら言って。ゆっくりでいいから。私は例え何があってもリリの味方だし、どんな事があっても絶対に一緒だから」 「うん、ありがとう」 ほんの少しの勇気が、私には無かった。 無かったから、言えなかった。 今にして思えば、スミレを信用しきれていなかったんだと思う。 言えないまま、スミレは飲酒運転のトラックに轢かれてあっけなく死んだ。 なぜか涙は出なかった。 こんなに悲しくて、こんなに辛いのに、それでもまだ私はスミレを信用しきれてなかったんだと思う。 そんな私は最低だと、心から自分が嫌いになった。 17歳 逃げるしかなかった。 逃げて逃げて、たどり着いたのがこの場所だった。 青南劇場下の広場。通称「青下」。 日本一治安が悪いとか、そんなの知らない。私にはこの場所しかなかった。 この場所で、お金を稼いで、生きて行くしかなかった。 「最後までで8000円」 そう、見ず知らずのおじさんに交渉する。 「4000円にまけてよ」 と値切るおじさん。 「ダメ。4000円なら口だけ」 言ってて悲しくなる。 私には、それくらいの価値しかないんだって。 こんな会話が、1日に3〜5回。多いときは7回くらい。 そうしないと、生きていけなかった。 そんな場所で、友達を見つけた。 ハルと、ユウカ。二人とも、私と同じような理由でこの場所に来た。 三人で揃ってやることなんて、薬と酒を飲んで寝る事くらいだけど。それでも、三人でいたから楽しかった。 18歳 とにかくお金が足りなかった。 お金がないと、薬も酒もタバコも買えない。 食べる物もないし、寝る場所もない。 こんな所で、それでも生き残る為に、私はハルとユウカと共に、おじさんの財布を盗むようになった。 ユウカがおじさんを引き付けて、ハルと私でおじさんをシメる。 後は、カバンごと持って帰るだけ。 簡単だった。こんなにも簡単にお金が手に入るんだ、と酔いしれた。 それを2回、3回と繰り返してしまった。 やっていく内に、更に自分が嫌いになった。 「私、もうやめる」 と私。 「次が最後だから」 というハル。 私もバカだった。お金が欲しかったから。 次の日から、いつもの場所にハルが来る事が無くなった。 「ハル、どうしちゃったんだろうね」 そう言うユウカ。 ユウカはまだ14歳。きっとわからない事もある。 「ハルは、きっとやりすぎたんだ。私達も、ここから離れるべきかもしれない」 そう言って、しばらくしてユウカも来なくなった。 結局、私一人だけここに留まることになった。 それでも私は、他に行く場所なんて知らなかったから。 19歳 色んな薬に手を出し始めた矢先、クラブで警察の一斉検挙があった。 当時、薬を貰うために知らない男に体を売っていた私は、同じように警察に捕まってしまった。 あいつらは私の言い訳なんてこれっぽっちもどうでもよかったみたい。 何もかも全て奪われたと思った。 ろくに勉強もしてないし、お金の稼ぎ方なんてこれしか知らなかったし、楽しみなんてこれしか知らなかった。 「チッ、ガキが」 そう、何度も言われた。 「だからなんだ。お前は甘えてるだけなんだよ」 私は、甘えてるだけだった。 でも。 「そうか、大変だったんだな」 そう、言ってくれたのは、警察のシンドウさんだった。 そして、なぜかシンドウさんの休みの日、シンドウさんの奥さんや、お子さんと一緒に海釣りに釣れていってくれた。 なんで誘われたのかはわからないけど、ただ「飯に困ってるんだろ」と言われたから、何か食べ物が貰えるのかと思って着いていった。 当時、私はもうお金を稼ぐ事も薬もお酒も飲めないって思って、半ばヤケクソみたいな状態になっていた。 「まずは自分で得てみろ。その経験が大切だ」との事。意味分かんないって思ったけど、それで食べ物が貰えるのなら、と挑戦してみた。 最初は、糸の結び方も、竿の使い方も、餌の付け方もわからなくて、これっぽっちも魚が釣れなかった。 そしたら、シンドウさんのお子さんが「こうやるんだよ」って教えてくれる。 当時は「なんだこのガキ」とか思ってたけど、食べ物の為だと思って文句を言いながらも従った。 シンドウさんも、「ここなら釣れそうだぞ」とか、「あそこに投げてみろ」とか、自分で得ろなんて言いながらめちゃくちゃアドバイスしてきた。多分、私が下手くそすぎてじれったかったんだと思う。 お子さんのアドバイスのおかげもあってなんとか釣れた1匹の魚。調理方法まで教えてくれて、作った料理を皆で食べた。 「飯を食うって事が、少しはわかったか?」 そう、シンドウさんに言われた。 自分の傷だらけになった手から魚の血の匂いがして、なんでかわからないけど涙が溢れてきた。 「帰る場所がないって言うなら、泊まっていくと良い。子供も喜ぶし、女房も家事の人手が増えるって喜んでたから」 20歳 私は、スーパーの鮮魚コーナーでアルバイトを始めた。 魚をさばいて、パックに詰める仕事だ。 仕事は大変だけど、前に比べたらとてもやりがいのある仕事だった。 初めて、自分に価値を感じることができた。 「おかえり」 そう、言ってくれるシンドウさん一家の優しさもあってか、私はどんどん希望を見出していった。 初めての給料日に、皆をご飯に連れて行った。 よくある普通のファミレスだけど、それでも皆喜んでくれた。 シンドウさんは、普段飲まないし、飲めないクセにビールを頼んでいた。 「せっかくの奢りだから、全力で楽しまなきゃもったいない」 その一言が嬉しかった。初めてちゃんと働いて得たお金の使い道は、これが一番正解なんだと思う。 違う。これが正解だ。私の人生の中で、これは。これだけは。私は一番のをしたんだ。 ある日、帰ったら、シンドウさんの奥さんが泣いていた。 「どうしたの?」 私は心配して声をかけた。 「あなたは何も悪くない。絶対にあなたのせいじゃないし、あなたが気に負うことじゃないから。落ち着いて聞いてね」 泣きながら、奥さんが話してくれたのは、シンドウさんが青下で職務質問のパトロールを行っていた際に、刃物で刺されて息を引き取ったという話だった。 私にはそんな資格は無いとわかってたけど、それでも涙が止まらなかった。 現在 私の、田中愛する汁と心の起立の話はここで終わります。 これが、私の人生でした。 こんな人生だってあるんだって、貴方に知ってほしくてここまで書きました。 ここまで読んでくれた貴方に、聞きたいことがあります。 私の話を聞いて、「甘えるな」って怒りますか? 私の話を聞いて、「嘘つくな」って笑いますか? と、言ってみたものの、正直なんでもいいです。 これも、私の自己満足なので。 ただ、知って欲しかったのです。 こんな私が、いたという事を。 こんな私が、生きていたという事を。 読んでくれてありがとうございました。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ココアを飲んで、ホッと息をついた。 しばらく経って、再び窓口に向かう。 「おまたせしました、田中梨里さん」 私は、新しい私の名前を受け取った。
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