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死生観・続き
悲しみや怒りのなかで、起きてしまったことは変えられない。
それでは、がんとともにどのように生きるのか、向き合わねばならない。
なぜ自分が病気になったのか、その怒りが出てくるのは当然である。
10年後の夢がかなわなくなったのは、悲しいし大きな喪失である。
その怒りや悲しみがどこかで収まってきて、人生をすべてを失ったわけではないと考える。
どのくらいの割合でPTGが起きるか、データがあり、乳がん患者の8割に該当するのが確認できた。
しかし苦しみとPTGは裏返しであり、多くの人が、がんになって決してよかったとは思えないが、病気にならないと気づけなかったことがあるとよく言われる。
患者さんの語りを一生懸命聞いてくれる人がいたり、社会のあたたかなまなざしがあることも関連する。
宗教や哲学、死はなんらかの意味を持つ。
死は抗えないものなので、日々を一生懸命生きようとか、助け合って生きようとか文化などの深まりにつながる。
考察
レジリエンスやサバイバーという言葉がある。
困難にあい、心が折れても復元する力を我々は持っている。
カウンセリングでもそうだが、自分の心のうちを言語化することで、なんらかの気づきや折り合いを見出すプロセスがそこにある。
モノを書くという行為も、セルフカウンセリング、ナラティブセラピーと共通点があるような気がする。
しかも、心的なエネルギーがモノを書く行為には、とても必要だ。
モノを書ける力があるのなら、まだ人生捨てたものではない、いける!!
私は・・
ダニ騒動で心が折れてしまって、まだ復元できていません・・
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