ハロウィーン

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ハロウィーン

 日本は、本当に忙しない国である。大半の国民が無宗教で信仰している神も何もないのに、クリスマスだの初詣だの、楽しいものや目新しいものに対しては目がない。それはやはり、学生も例外じゃないのだ。 「京華ちゃーん! ハッピーハロウィーン!!」  この学校きってのイケメンーーー笹川烈火は、満面の笑みを浮かべて、お菓子を催促するように手を広げた。 *  この学校の校則は、他校から見ればかなり緩い方らしい。そう、緩いには緩いのだが、仮装して登校するのはやはり校則違反だ。何も、そこまで緩くはない。  しかしーーーこの日ーーー10月31日のみは、風紀委員も生徒会も先生たちも、常識の範囲の仮装ならば目を瞑ってくれる日だったのだ。ただし、仮装していいのは、昼休みのみ。それ以外に仮装すると、音速で鬼の風紀委員が没収しに来る。  トリックオアトリート! と吸血鬼に模した彼は楽しそうに言う。黒のマントを羽織り、下は制服のワイシャツとズボン姿の笹川さん。そんな中途半端な仮装で絵になる男。いつもそうだが、かっこいいな、と他人事ながらに思った。  全ては、想定通り。  コイツは、残念なことに、いつもこんな調子だ。こどもの日には柏餅持ってくるし、七夕には笹がないのに短冊持ってくるし、オレの誕生日にはちゃんとプレゼントを買ってきてくれるし、クリスマスにはトナカイのカチューシャ付けてくるし。そんな男が、ハロウィーンと言われてじっとしている訳もなく。相変わらずな様子に呆れながら、ポッケから小さな飴を出した。 「はいはい、どーぞ。ハッピーハロウィーン」 「え〜! 京華ちゃん、いつもお菓子とか持ってこないのに、めっずらし〜っ! こういう行事、京華ちゃんも意外とお好きなの?」 「毎年毎年、行事好きの誰かさんが、こうやって菓子を求めに来るからちゃんと用意してんだろ」  「別に好きな訳じゃない」と言うと、笹川は「そうなんだ」とはにかむように相槌を打った。コイツを前に、「ハロウィーンが好きな訳じゃなくてオメーが好きなんだよ」って、いっそ言えたらいいのだが、この台詞は言わずにグッと飲み込む。  去年なんかは、お菓子を持ってくるのを忘れて、甘いものなんてそんな好きじゃないのに、1日かけて収集してきたお菓子を食べるのに付き合わされた。  笹川はコミュ強で、友好関係も広いので、ハロウィーンに収集できるお菓子の量が、桁外れで多かった。彼自身が、頑張って収集している、というのもあるが。 「わぁ、りんご味だ〜。オレ、りんご味の飴、好き〜っ」 「……それを知ってるから、わざわざりんご味のを買ってきてんだよ」 「ふふふ。優しいなぁ、京華ちゃん」  彼はそうにやけて、口の中に飴を入れた。コロコロと転がす音が洩れて聞こえる。彼の笑みは、誰がどう見ようと『幸せ』を象徴したものだった。それを見たいから、オレはわざわざ時間割いて買ってきてるんだ。これを買った値段に見合う、というかそれ以上の報酬。 「いやさ、ハロウィーンって本当に素敵な行事だよね。仮装してトリックオアトリートって言うだけでお菓子が貰えるなんて」 「貰えるだけじゃないだろ、笹川」 「え?」  オレがそう言うと、笹川はコテンと、首を傾げた。いちいちの所作が可愛い。そんなこと、他のところでやっちゃいけません! とかそうやって、笹川の保護者みたいなことを言ってしまいそうになる。  阿呆な自分に呆れつつ、オレはため息を吐くようにこの台詞を口にした。 「trick or treat?」  ハロウィーン自体、特別好きな訳じゃあないが、別段、嫌いでもないのだ。 * 「わ〜、京華ちゃんもそういうのやっちゃう系か〜」  笹川はオレの言葉を聞いて、楽しそうにケラケラと笑った。それから、発音いいね、と素直に褒めてくれた。本気を出せば、笹川の方が発音いいのは言わずもがな。周知の事実だ。  きっとーーーいや、絶対。笹川のことだから、お菓子のひとつやふたつは持っている。実際、ハロウィーン以外の日でもよく、お菓子を食べているのを見る。毎年あげてばかりじゃ嫌だからね、今年は彼とおんなじように奪わせてもらおうじゃないか。  しかし、奪おうと思ったのだが、彼は余裕綽々、悪戯っ子めいた笑みを浮かべて 「いいよ」  と言葉を放った。その意味がわからなくて「は?」と言葉を洩らす。空耳か? いやでも、かなりはっきり発音していた。 「京華ちゃんにならさーーーー悪戯されてもいいよ」  ………は? *  笹川は何食わぬ顔で、こちらをまっすぐ見つめていた。彼の視線は、悪戯っ子のようで、だけどどこか真剣さを帯びている。彼を前に言うべき言葉を失った。 「………なぁんちゃってね!」  先ほどまでの雰囲気とは一転。急にカラッと笑った笹川。オレはその雰囲気の変化についていけずポカンとする。なんだこの温度差、オレがグッピーなら死んでたぞ。それに待ってくれ。あれは、なんちゃっての目じゃなかったぞ? 誰がどう見ても本気の目だったよ? 何? マジで何? 「お菓子でしょ? あげる」  「ハッピーハロウィーン」と何も分からぬまま手渡されたのは、小さな包みだった。まるで、小さなチョコが入っているような包紙。笹川はニコニコと嬉しそうに笑ってる。 「これ、なんでしょ〜か」 「あ〜、チョコ?」 「そうそう、ご名答!」  まさか、本当になんの捻りもない回答だった。笹川はニッと笑って、オレの方を優しく見る。『幸せ』というよりかは『愛しむ』ような。今の彼の顔は、そんな顔だった。 「来年も、また、こうやって出来るといいね」  不意に、言葉を落とす笹川。落とす、というよりかはこぼれ落ちた、という表現の方が的確だろう。 「勉強ちゃんとやってたら、来年もこうやって構ってやるよ」 「え〜、勉強はいつもやってるよ? むしろ、オレが京華ちゃんに教えてあげようか? ってくらい」 「あ〜、くそ。悔しいけど、是非教えて貰いたいです」 「ははっ。京華ちゃんのお願いならば、いくらでも」  それこそーーー悪戯っ子のように、彼は楽しげに笑った。その笑みに応えるように、オレも笑みを浮かべる。多分、今のオレも、笹川と同じように、幸せに満ち溢れた笑みを浮かべていることだろう。 ーーーハッピーハロウィーン。  そうやって、オレは彼の笑顔を見て小さく呟いた。
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