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 空を覆う暗雲が、音を立てて動いている。こんな具合だと雨が降りそうだから、洗濯物を取り込んでおこうと思いながら足を進めた。  店の裏にある重たい扉を捻って開けると、私はこれから、可愛げのある良い娘だ。街を歩く一般的な高校生ではなくなる。  なんとなく、生きている。なんとなくものを食べ、学校に行き、高校生がしそうな話に興じ、帰宅して、良い娘になる。今だって、なんとなく志望校を選んでいる。きっとこれから、美容専門学校にでも行くのだろう。あいつと同じところに。そして、またなんとなく、あいつと一緒にこの美容院を継ぐのだろう。  なんとなく生きるのが一番楽で、自分で道を切り拓くのが面倒くさいから私は、美容師を目指している。 「ただいまー」  扉を開けると、すぐに「おかえり」という母の声が聞こえた。優しく、穏やかにうちの家族を支える母。彼女はきっと、向いていたんだろう。今も、わざわざ演じてるんじゃなく、素でああいうことをしてるんだろう。  素直に、尊敬した。 「また、本屋にでも行ってたの」 「うん。ほら、この前おじさんがさ、図書券くれたじゃん? あれで、欲しかった文庫本買ってきた」 「ああ、あれね。よかったじゃない」  平和な話をしながら上に行って着替え、降りてくると夕飯の用意を手伝う。父と中田を抜きにした簡単な食事を終えると、私は母に言った。 「中田は、どうせ隣で作業でしょ?」 「うん、そうだけど」 「私もやってくる」 「いってらっしゃい」  階段を上って扉を開けると、急に床が変わる。今まで古い木造だったのが、磨きのかかった「店」の床になる。  いくつか部屋を通り過ぎると、その一つに明かりがついていた。そこには当然のように、中田がいる。一部の隙も見せず、こちらが気圧されるほどの集中力で、マネキンに向かっていた。彼の前に置かれているマネキンの髪が、少しずつ切られていく。慎重に、慎重に。何年も見てきた光景だった。  彼もまた、純粋な人だ。父の友達の次男で、両親が離婚した後父親が死んだから、七歳の時にうちに連れてこられた中田。衣食住を免除する代わりにこの美容室を継げと言われた彼は、私の父とのその約束を貫くために、今もこうして美容専門学校に通い、帰ってくるなり練習をしている。  ああ私とは別の人種だ。どうしようもなく、そう思った。
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