Pink★Bomb

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 都心部の駅は少し歩けばオシャレなカフェがいくらでもある。祐介は待ち合わせた時間より、早くカフェに着いてしまった。だが、気持ちを落ち着かせるにはちょうど良かった。祐介は窓側の席に座り、ソワソワと膝を擦っている。    ピンク・ボム特有のポップな通知音が鳴ると、祐介は急いでスマホの画面を確認した。 〈もうすぐ着くよ♡〉 〈わかった。窓側の席にいるから。白色のセーターを着ています〉  木製のドアが開く音。ハイヒールが床を打つ音。しばらくして、音が止まる。 「ユウくんだよね? こんにちは」  祐介は驚く。ピンク・ボムで見ていたみぃちむと、現実のみぃちむの姿があまりにもかけ離れていたからだ。目尻のシワ、たるんだアゴ、触り心地の悪そうな髪の毛、濃いファンデーションでも隠し切れない肌荒れ。配信画面ではある程度の加工が出来ることもわかっていたが、まさかここまで変わるとは思っていなかった。 「こ、こんちは……」  祐介は思わず苦笑いをして返す。 「写メよりなんか幼く見えるね。かわいい」  そう言ってから、みぃちむが大きい音を立てて座る。祐介は、みぃちむが26歳と言っていたことを思い出し、あれは設定なのだと気づく。みぃちむが自分より年上じゃないと、初対面で「かわいい」なんて台詞は出てこないはずだ。    しかし、みぃちむが日々の配信で祐介を癒していたのは間違いない。  祐介は理想の姿じゃなくても、みぃちむに惹かれる理由があった。  みぃちむが店員を呼ぶブザーを押す。店員が来てから、みぃちむはメニューを開いた。 「んー……。ヘーゼルナッツラテのホット。ユウくんどれにする?」 「あ、俺ホットコーヒーでお願いします」 「かしこまりました」と一礼して店員は厨房に消える。みぃちむは首に巻いていたピンクのストールを外しながら、話し始めた。 「本当いつもありがとうねー。マジで感謝してるから、今日は会おうと思ったんだよ」 「いや、全然大丈夫だよ。俺こそいつもみぃ……に癒してもらってるし。ありがとう」  現実でみぃと呼ぶのは少しばかり憚られた。配信の時より言葉や所作が少し荒っぽい。祐介はまるで品定めをしているかのような自分を嫌に感じたが、違和感を見つけてしまうことを止められなかった。 「ふふ、アイテムたくさん投げてくれるもんね。一般人ライバー総合順位もだいぶ上がってきたもん。リスナーも増えてきたし、今日の夜も頑張らないと」 「あ、だから今日は昼しか空いてなかったんだ?」 「そうそう、金土日の夜配信は外せないからね。他の曜日と比べて同時接続数も多いし、コメントも増える。学生も多くてアイテムはそんなにだけど、ライバーポイントにはなるから。あ、こんなこと話しているのは秘密ね。計算高い子だと思われちゃう。ファンクラブ会員1位のユウくんだけだからね。こんな私を見せるのは」  みぃちむはそう話すと、電子タバコを取り出して口元に当てた。「秘密」というポーズのつもりらしい。慣れた手つきで電子タバコを加熱しだすと、辺りには新聞紙を焼いたような香りが広がった。 「簡単そうに見えるけど、けっこう配信ってのも頭使うのよ」  少しの沈黙が続いたあと、ガリっと音を立ててみぃちむは頭を掻いた。  店員が注文した飲み物を持ってくる。みぃちむはヘーゼルナッツラテに砂糖を2本入れた。ナッツ特有の香りと、電子タバコの香りが混ざって漂う。 「ごめんね、ユウくん優しい感じだからつい愚痴っちゃった」 「気にしないで話していいよ」  祐介は彼女の苦悩を想像する。できるならその苦悩から解放してあげたいと思っていた。祐介は話を切り出す。 「ライブするのってやっぱり辛い?」 「そうだね。大変だし辛いこともあるよ」 「なら、やめたい?」 「やめたくはない。というかやめられない」  やはり金銭面での問題があるのか。祐介は鞄のなかの封筒に30万円程詰めてきていた。みぃちむが生活で困っているのなら、ピンク・ボムを通して課金するより実際に渡した方がいい。ピンク・ボムを通すと課金額の三割は運営に手数料として引かれてしまうからだ。 「お金に困っているなら、助けるよ。ピンク・ボムを通すと手数料もかかるし。だから、ライブも無理しなくていい」  祐介は30万円が入った封筒をテーブルに置いた。 「俺、みぃちむに本気なんだ。だから、ライブもやめていいよ」  みぃちむは無言で封筒に入っている金額をあらためると、祐介に突き返した。 「私、現実でお金もらうためにライブやってる訳じゃないの。お金にも困ってない」  祐介は焦る。みぃちむのプライドを傷つけてしまったのかもしれない。  愛を囁くよりも、形として見せた方がいいとばかり思っていた自分を後悔した。 「だからさ、ユウくん。このお金は全部ピンク・ボムで投げてほしい」  祐介は一瞬、耳を疑う。お金に困っていないなら、わざわざピンク・ボムでアイテムを投げる必要もない。 「それは、なんで?」  祐介が問うと、みぃちむは窓の外を眺めながら話し始めた。 「認められたいから」 「認められたいって誰に?」 「わかんない」 「目立ちたいから?」 「そういうのじゃない」  みぃちむは、2本目の電子タバコを取り出し、加熱する。 「……ユウくん。あのね、配信してると安心するの。自分の価値が形になるから。頑張れば順位も上がるし、リスナーは私を見てアイテムを投げてくれる。10円や100円だっていい。私というものに価値を付けてくれて……なんかそういうの、生きてていいんだって思えるの」  みぃちむはタバコの煙をまるで深呼吸をするかのように大きく吸い込む。  煙を吐くと、また静かに喋り始めた。 「私にはなにも特技なんてないし、家族からも職場からもどうでもいいような人間として扱われてきた。でも、みぃちむとしてライブしている時は違う。みぃちむを演じていると、みんなが私を見に来てくれるし、認めてくれる。必要としてくれる。ユウくんにはわからないかもしれない。でも、人間ってさ。見られないってことが一番苦しいの。怖いのよ。……だから、もう戻れない」  みぃちむはまるで決意をするかのようにタバコを押しつぶす。祐介はその姿の背景に、みぃちむが今まで生きてきた環境を想像してしまう。間違っている道なのだと自分でも思いながらも、彼女はそれに縋るしかないのかもしれない。 「……これからは、俺がいるじゃないか」  祐介は声を振り絞る。喉が擦れて、コーヒーを一口飲むが、それでも喉は乾いたままだった。 「そんなんじゃ、もうだめなの。私のためと思ってくれるなら、それをアイテムとして投げてよ」  北風は強くなり、カフェの窓枠をガタガタと鳴らす。祐介は言葉が出てこない。 「……夕方まで時間あるから、ホテルの休憩なら入れるけど。それでアイテム投げてくれるならいけるよ」  祐介はみぃちむのこの言葉を聞いて、孤独感に襲われた。みぃちむにとって、祐介はただアイテムを投げてくれるリスナー。それだけの存在なのだ。  祐介自身にはなにも価値がないと、言われたような気がした。
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