90人が本棚に入れています
本棚に追加
/13ページ
0 二次性に翻弄されたΩ ①
この世界には基本性である『男』『女』の他に二次性『α』『β』『Ω』の三つ、合わせて六つの『性』が存在している。性の組み合わせによっても違いはあるが、一次性よりも二次性の違いが大きく人生を左右した。
ちょうどここに、二次性に翻弄されたやつがいる。
誰かって? それは勿論他でもない俺のことだ。
どんな人間でも、生まれてくる時は平等で、なにかしらの神さまからの贈り物をその小さな手に握って生まれてくると言われているが、どうやら俺が握っていた物はギフトとも呼べないような大ハズレな物で、慈悲深いとされる神さまであっても決して公平ではないのだと知った。
*****
「――なんですか?」
イラついて存外低い声が出た。急がなくてはいけないというのに、仕事をするべき人間がのんびりと手を止め、意味もなくこちらを見ているのだから苛立ちもする。
俺の名前は十時 暒、二十二歳の男性Ωだ。そしてさっきからこちらを見てニヤついているのは、この会社で専務をしている平野 静夜、二十七歳の男性αだ。
ひょんなことから俺は静夜さんの身の回りの世話や秘書のようなことをしている。秘書といっても所詮はまね事、正式な秘書でもないから俺のできることなんてたかが知れている。書類の整理やお茶出しくらいなものだ。こんなの誰にだってできるし、今時お茶くみの為に人を雇うなんてことはないから、俺は純粋な社員枠ではないということだ。
――と脱線した。話を戻すと、いつもはここまであからさま過ぎる視線を寄越すことはないし、やるべきことがあるのに手が止まることもない。ゆるゆるフワフワとイラつく男だけど、こと仕事に関してだけは真面目で尊敬できるから、こんなことは珍しいのだ。多分午後になって突然入った予定が問題なのだろう。当日になって突然取引先からゴリ押しされたお見合い話だ。一対一ではなくパーティという形をとるみたいだけどお見合いには変わらないし、パーティだから専務を狙う見合い相手以外の参加者からのアプローチもあることは予想された。
現在二十七歳の専務に結婚話はそう早いというわけでもないけれど、本人にその気がないのだろう。αにとってタブーは殆ど存在しないから難しい恋をしている、というわけでもなさそうなのに、浮いた話のひとつもないのはどういうわけか。どちらにしてもその気がない上にそんなに嫌なら断ればいいのに、と思ってしまう。専務、平野 静夜には見合い話のひとつやふたつ、なんの問題もなく断ってしまえるだけの力があるのだから。
それでも行くと決めたのなら少しくらいは相手に興味があるということだろう? だったら言い訳みたいにやる気がない姿なんて見せてないでさっさと仕事を終わらせればいい。苛立ちを隠すこと無く俺は静夜さんをギロリと睨むが、静夜さんの揶揄うみたいな笑顔にイライラが募るばかりだった。
俺は拳を握り、内心で舌打ちをする。
そして今更か、と溜め息を吐いた。
思い返してみても、静夜さんはいつも余裕そうに笑っていた。最初の出会いのときも再会のときも、いつも、いつも。いつも――。
十七歳のとき俺は恐怖と絶望の中にいて、静夜さんに拾われた。
助けられた……と言ってもいい状況で、当時の俺は静夜さんのことをまったく信じてはいなかった。いくら優しそうに見えてもαはαだ。期待なんかしない。期待なんかしなければ裏切られたと嘆くことも傷つくこともないのだ。
心の中ではそんな風に思い、差し出された突然の優しさを取ることなく睨みつけていた――。
静夜さんは俺がどんな態度をとっても愉快そうに、揶揄うように微笑むだけだ。同じ失敗をしても丁寧に静夜さん自ら教えてくれて、絶対に怒ったりバカにしたりはしないし、上手にできたら大袈裟なくらいに褒めてくれて、普段は黙って見守ってくれる。拾われて一日が過ぎ、一週間、一ヶ月――そして五年が過ぎた今も静夜さんの俺に対する態度は変わらない。俺が静夜さんのペットだという事実も変わらない。年齢的にも能力的にも劣る俺みたいな底辺Ωが、世界でもトップクラスの会社でなんで(働けた)働けているかというと、俺が静夜さんのペットだからにすぎない。一緒の家で暮らしているのもペットだからで、それ以外の意味なんてないのだ。
だから、一連の静夜さんの行動はペットにする『躾け』だと考えるとしっくりくる。失敗するまで放置して、間違いを指摘することで上下関係をはっきりさせる。生意気で反抗的なペットへの躾けなのだ。
だってそれ以外どう考えればいい? 静夜さんのことをもうその辺のαと同じだとはさすがに思ってはいない。けれど静夜さんは本当なら俺なんかが一生関わりなんて持てるはずもないくらい雲の上の存在だ。希少なはずのαばかりが集まる名家の本家筋の跡取り息子で、大会社の専務で、自分のルーツすら分からない俺とでは生まれからしてなにもかもが違うのだ。
俺と静夜さんは――飼い主とペット、ボスと下っ端、専務と平社員の秘書(仮)、俺たちの関係に色々と名前はつくもののすべてに共通して言えることは、静夜さんが『上』で俺が『下』ということ。決して同じ立場にはいない、騙し絵のように同じ空間にいるように見えて、実際は別世界に生きる存在なのだ。
本当に世の中は不公平で溢れていると思う。
なんにも持ってないくせに唯一持っているモノは余計なモノで、誰も羨んだりしないモノ。捨てたくても捨てられないモノ……呪いのような『Ω』。
もしも俺がΩではなくαだったら、もしくは今からでもαやβになれたなら――――。
そこまで考えて、すぐに頭を振って否定する。この世の中に『もしも』なんてないのだということは嫌というほど知っている。
夢を見るな。希望を抱くな。
俺はΩ以外の何者にもなれやしないのだから。
最初のコメントを投稿しよう!